桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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御法歌とは

─救済の法歌・慈悲の道歌─



御法歌(みのりうた)とは、菩薩様が、人生のあらゆる苦難を乗りこえられ、衆生済度の道すがら、知らず知らずのうちに、口を突いて、魂の奥底から湧き出てきた、三千首余りの道歌の数々であります。

菩薩様が、『道歌集』の中で、

この歌は、和歌とか短歌のように、花鳥風月を詠んだ風流なものではなく、移り変わりゆく人の世、人の心の有様をそのまま歌にあらわし、人よみな万物流転を知れ、真実の自己に気付けと、み仏が人生の正しい道しるべをお示し下された、慈悲の法歌であり救済の道歌であると、私は確信してやまないのであります

と述べておられますように、御法歌は、そのままがみ仏の御真言(真理の言葉)であり、お悟り(仏法)そのものと言えましょう。

御法歌は、ともすれば難解といわれる仏教に、老若男女のへだてなく、誰もがいつでも触れられるようにと、み仏がお示し下された、人間として正しく生きるための道しるべです。

苦しみ多き浮世の人生をあてどなく歩む私たちですが、迷ううちにも、苦しむうちにも、み仏様にみちびかれて、救いの光明を見出させていただくことが大切であり、それが苦しみを背負う万人の願いではないかと思います。


頼め彼岸へ法のふね

─四十九首にこめられた願い─


御法歌「頼め彼岸へ法のふね」は、普門法舟大菩薩様が、老若男女のへだてなく、誰もが日々の暮しの中で口ずさみながら、仏法のみ光に触れていただけるようにと、三千首余りの道歌の中から撰んで編集されたものであり、日々の勤行には必ず唱えている高野山法徳寺の根本経典とも言うべき道歌です。

仏教経典といえば、漢字ばかりで読みづらく、難解で何が説かれているのかよく分らないというのが、世間一般の常識ですが、この四十九首の御法歌は、平易な中にも意味深く、まさに現代人必携の仏教経典と言ってもいいでしょう。

わずか四十九首の道歌の中に、み仏の教えの真髄が平易に説かれ、格調高き七五調の文体とあいまって、必ずや悩み苦しむ人々の心の依りどころとなることを確信してやみません。

御法歌の一句一偈を深く味わっていただき、人間の幸せとは何かを考える奇縁としていただければ幸いです。
  み仏の 一句一偈の御法(みおしえ)は
    衆生を照らす 光なりけり



頼め彼岸へ法のふね


天は神なり 地は仏
   天に祈りて 地に懺悔 合わす両手に 神守る

目には見えねど 神仏
   案じ疑い するけれど 信じることこそ 救いなり

神を恐れぬ 人間の
   所業の様を 見るならば 来世の様が 見えるなり

老いも若きも 人よ人
   わが身を愛する ものならば 一度はめざめて 世のために

わが身の人生 可愛いくば
   人の人生も 大切に 共に咲かそう 徳の花

人間言葉の つかいよで
   成り立つことでも 成り立たぬ 和顔愛語で 暮らしましょう

口・耳・目・鼻 それぞれに
   正しい役割 しないとき やがては不自由な 身とぞなる

怒りねたみに 愚痴嫉妬
   そんな心で 日を暮らしゃ 業の毒素で 身がほろぶ

若いうちから 手を合わせ
   壮んで信心 深くして 老いて仏の 中に住む

四十・五十に なったなら
   仏跡めぐりを 喜べよ 明日もわからぬ 人の身は

人生死生の 橋渡り
   八十年と するならば 何年何して 来たのやら

六つの道が めぐるから
   しあわせばかりと 思うなよ 人生廻り 舞台なり

因果の道理を 知らなけりゃ
   流転生死を するうちも 業をつくって 業に泣く

名誉も地位も 財産も
   わが身ばかりか 人の身も 無常の中に 消えてゆく

昨日見た人 今日はなし
   残る桜も 散る桜 待ったないのが 人生だ

この世は無常の 仮の宿
   惜しい財も 人の身も 一夜泊りの ときもある

富士の高嶺の 白雪も やがては溶けて 水となる
   人の心もそれに似て 嶺の雪ではなけれども 仏の情と慈悲で解く

地獄極楽 後生とは
   死後の世界と いうけれど この世があの世と いうことさ

極楽往生 することも
   地獄に堕ちて ゆくことも 己が所業が 因となる

死出の山路が 恐いなら
   徳を積め積め 山と積め 積んだ功徳が 身を照らす

金の世界は ゆきづまる
   徳の世界に つまりなし 貪欲はこの世の 死出の旅

宿世の罪も 善根の
   種蒔き終えて 法のふね 三途の川も 夢のうち

施し人の ためじゃない
   善根功徳は 己がため 積めよ積め積め 徳の山

欲は苦の因 悔の元
   長者三代 続かない 残るは悪業の かたまりだ

欲ほど恐い ものはない
   因果応報に 責められて わが身ほろぼす 死出の旅

心に進歩の ない人は
   肉体百まで 生きたとて 罪業を背負った 死人なり

自己の仏に あいたくば
   人に尽して 業垢除け 仏像つくるも 木垢とる

人みな凡夫と いったとて
   精進するなら みな仏 きたえみがけば 御神刀

この世はみんなの 組み合わせ
   役目役目の 働きで 生きているより 生かされる

苦楽互いに もつ身なら
   助け合うのが 人の道 わが身ばかりじゃ 罪つくる

この世につまらぬ ものはない
   この世に足りない ものはない つまらぬ足りぬは 己れなり

夫婦のうつわは ちがっても
   足りないところは 辛抱して 助け合うのが 人の道

春・秋彼岸の 墓参り
   先祖のご恩に 感謝して 手向けの花に 菩提心

先祖供養は 生き供養
   死んだ供養じゃ ありませぬ 生きた先祖を まつるのだ

諸行無常と 鳴る鐘の
   音のはかなさ きくときは 移り変わりを 知れという

夕べを告げる 鐘の音に
   暁の鐘の音 きくたびに 生の尊さ かみしめる

朝日に感謝は するけれど
   沈む夕陽に 知らぬ顔 今日も一日 ありがとう

昨日を背負った 今日の日は
   明日をはらんで 過ぎてゆく 大事にしよう 今日の日を

子供の魂 育てずに
   学問だけが 身につけば 老後は知識で 責められる

子供に背かれ 嘆く親
   あなたは一体 どのように 子供を育てて 来たのやら

子供に拝まれ 敬われ
   子供が自慢の 出来る親 そんな親なら 神仏

慈悲で育てた 子供なら
   憂いも辛いも わかるけど 情ばかりじゃ 仇となる

朝な夕なに 親と子が
   南無と両の手 合わすなら 弥陀の心の 中に住む

親より先逝く 子があれば
   発心せよの 仏ごころ 先逝く子供は みな仏

死を見て悲しむ ことよりも
   明日なきわが身の ことも知れ 残る桜も 散る桜

何がなくとも 人生は
   心の破産を するじゃない 人間破産は 物じゃない

他人のために 損しても
   それで前生の 借り果たす 天地の計算 くるいなし

損をしたとて 怒るじゃない
   前生の借りが 済んだのだ 損を拝めよ 人拝め

無常の中の 人の身は
   波にただよううき世舟 頼め彼岸へ 法のふね 頼め彼岸へ 法のふね



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