桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
桜紋の扉 法徳寺の扉 御祈願の扉 汗露水の扉 御法歌 法話の扉 帰郷の扉 升紋の扉
信者を作らない理由法話の小部屋御同行の体験談

信者を作らない理由

─来る者は拒まず 去る者は追わず─



信者は要らない


お参りされた皆様からよく「法徳寺は信者寺ですか?」とのお尋ねをいただきます。

その都度、「いいえ、法徳寺には、一人の信者もいません」とお答えすると、不思議そうな顔をなさいます。

菩薩様は、常々「法徳寺には、信者は一人もいないし、作らない。これからも信者は作らないし、作ってはならない。ただご縁の方々にお参り頂き、一人でも二人でも救われて帰って頂いたら、それでいいのです」と仰っておられました。

近年、子供を虐待する親の話をよく耳にしますが、自分の子供だと思うから、子供に粗相をしたり、乱暴したりするのであって、「この子は神仏からの預かり子だ。お預かりしているだけだ」と思ったら、決して乱暴や粗相は出来ません。

それと同じように、信者を作ると、「わが信者だ。わが弟子だ」という思いから、信者や弟子に執着し、その自由や行動を縛るようになります。それは、様々な事件を起した数々の宗教団体を見れば一目瞭然です。

菩薩様が「法徳寺には、信者は一人もいないし、信者は作らない」と仰ったお言葉には、非常に深い意味があります。

大切な事は、苦しみから救われる事であり、一刻も早く苦しみの因縁を解く事です。それ以外に、信仰の目的などある筈がありません。

救われる上で、信者であるか否かは、全く関係ありません。もし信者を作り、増やす事を目的とする教団があれば、目的は他にあると思って間違いないでしょう。


来る者は拒まず・去る者は追わず


法徳寺は、「来る者は拒まず、去る者は追わず」を旨とし、救いを求めたい時は、誰でも、いつでも自由にお参りして頂いたらいいお寺です。

「来る者は拒まず、されど去る者は許さず」と云って、信者の自由を束縛し、様々なトラブルを起した宗教団体が多々ありますが、これは、信者を作ると必ずそうなっていくという戒めであり、救いを求める時に心すべき教訓です。

むのたけじ氏は、「わたしがやってくるものを拒まないのは、かつて去るものを追ったことがないからである」(詞集たいまつT)と言っていますが、これは、宗教者たる者も、しっかり肝に銘じておかなければならない心得です。

お釈迦様が、『法句経』の中で、「茅(かや)をつかみそこぬればその手を傷つくるが如く、誤れる求道は人を破滅にみちびく」と厳しく戒めておられるように、悩み苦しみの中で、藁(わら)をもつかむ思いですがった教えが茅であったらどうなるでしょうか。それこそ、迷路に入るばかりか、人生の破滅となるでしょう。

宗教というものは、自己の旨(むね)とすべき教えですから、仏法以外に何かを求めて救われるものでは決してありません。教えを求め、救いを求める時には、念には念を入れ、正しい教えを求めなければならないとのお釈迦様のお諭しです。


私がしたいのはそんな事ではない


以前、九州へ行かれたお方が、菩薩様に、「九州へ行きましたら、新興宗教がたくさんの信者さんを集めて活動してみえました。私、それを見て、うらやましくて仕方がありませんでした。早く法徳寺さんにもそうなって頂きたいと思います」という電話をして来られた事があります。

その時、菩薩様は、「私はそんなつもりで、法を説いているのではありません。私がしたいことはそんな事ではありません。どれだけ信者を作ったとか増やしたとか、そんな事は一切関係ありません。増やしたい教団があれば、どんどん増やして頂いたらいいのです。私は、ただご縁のあった方が一人でも二人でも、ここへ来て頂いて、救われて帰って頂いたらそれでいいのです。信者を作ろうとか、そんな事は一切考えておりません。作りたい教団があったら、どんどん作って頂いたらいいのです」とおっしゃって、その方を厳しく戒められましたが、そのお言葉で、その方は、もう二度と、信者を作りたいとか増やしたいというような事を仰らなくなりました。

菩薩様が、信者というものに一切執着しておられなかった事を物語るエピソードの一つですが、今も私達の脳裏に深く刻まれています。


人みな同行二人


よく「信者を作らず、一人の信者もいないとすれば、毎月お参りされている方々は、どういうお方なのですか」と尋ねられますが、法徳寺にご縁があってお参りされる皆様は、すべて御同行(ごどうぎょう)です。

御同行とは、文字通り、救いを求めて共に修行する仲間という意味です。

昔から、「旅は道連れ、世は情け」と言われますが、私達はみな救いを求めて共に旅をする道連れであり、法徳寺は、互いに助け合い、励まし合いながら一緒に求道の旅をしている人々が集う憩いの場という事になります。

四国八十八ヶ所霊場へ行きますと、お遍路さんの菅笠に「同行二人」(どうぎょうににん)と書かれているのをご覧になった事があると思いますが、「同行二人」とは、四国霊場の険しい山坂を、お大師様と共に、そしてお遍路さん同士が互いに道連れとなって、苦しい試練の山坂を越えて行きましょうという意味です。

しかし、同行二人は、四国霊場だけの道連れではありません。私達の人生で、ご縁となった方は、みな同行二人であり、御同行(ごどうぎょう)なのです。

夫婦、親子、兄弟姉妹、親戚、友人は勿論、電車で袖触れ合った人でさえ、みな御同行の一人です。御縁があって法徳寺へお参り下さった皆様も、みな御同行です。

勿論、そこには、上も下もありません。誰もがみな御縁に導かれて法徳寺へお帰り頂き、法のみ光に触れて救われて帰って行かれる御同行です。

ですから、法徳寺には、御同行はおられても、信者は一人もおられません。


法話の小部屋へ


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック


サイト内検索 help
 


法徳寺の草花と自然

ソメイヨシノ

アヤメ(菖蒲)
(花言葉 気まぐれ、神秘な人)

 


 

 

 

 

詞集たいまつT
著者:むのたけじ
出版社:評論社
発売日:1976/03

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


高野山法徳寺(たかのやまほうとくじ) TEL:0551-20-6250 Mailはこちらから
〒408-0112 山梨県北杜市須玉町若神子4495-309 FAX:0551-20-6251 お問合せフォーム