桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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法徳寺のパワースポット(7)

~菩提心を納める帰郷庵~




帰郷庵と他のお堂との違い


帰郷庵は、ご縁の皆様方のご遺骨をお納めする納骨堂ですが、パワースポットとしての帰郷庵には、ご本尊様の或る想いが込められています。

それは、「心の中に帰郷庵を建てて欲しい」という想いです。

心の中に帰郷庵を建てるとは、どういう意味でしょうか?

私たちが生きる世界には、眼に見える物質的世界と、眼に見えない精神的世界があります。

この二つの世界は、表裏一体の関係にあり、物質的世界の背後には、精神的世界が存在し、眼に見えない心の世界は、必ず目に見える形となって物質的世界に現れてまいります。

ですから、眼に見える物質的世界にある帰郷庵は、眼に見えない精神的世界にある帰郷庵が目に見える形になって現れてきたものと考える事が出来ます。

同じ事は、ご本尊様の御廟所である夢殿や、汗露水の授与所である汗露臺にも当てはまります。

眼に見えない精神的世界で、生き仏として生き続けておられる菩薩様のお姿を、直々に拝ませて頂く事は出来ませんが、物質的世界に建立された夢殿や汗露臺には、苦しむ人々を救いたい、不動の信心を成就して救われて欲しいという菩薩様の願いが込められていますから、夢殿や汗露臺を通して、菩薩様のお姿を拝ませて頂く事が出来るという事です。

この願いは、帰郷庵にも込められており、帰郷庵を通して、菩薩様を拝ませて頂ける点においては、夢殿や汗露臺と何ら変わりありませんが、帰郷庵には、夢殿や汗露臺と大きく異なる点が一ヶ所あります。

それは、夢殿や汗露臺が、生き仏となられた菩薩様(身代り升地蔵尊)がお祀りされているお堂であるのに対し、帰郷庵は、み仏様だけではなく、ご縁の皆様のご遺骨が納められ、その御霊がお祀りされるお堂であるという点です。

お堂というものは、み仏様をお祀りする聖所であって、そこに、み仏様以外の何かをお祀りする事はまずありません。

しかし、納骨堂である帰郷庵には、み仏様だけでなく、ご遺骨を通して、ご縁の皆様方の御霊がお祀りされるのです。


人から拝まれる人間になりなさい


ご縁の皆様の御霊がお祀りされる聖所は、この世に二ヶ所しかありません。一ヶ所は、各家のお仏壇であり、もう一ヶ所は、お墓です。

いずれも亡くなってからお祀りされる聖所ですが、ご縁の皆様の御霊が祀られる帰郷庵は、謂わば大きな仏壇、大きなお墓と言ってもいいでしょう。

勿論、各家ごとに作られる仏壇やお墓ではなく、ご縁の皆様が一緒に入られる共同の仏壇、共同のお墓ですが、み仏様以外は祀られないお堂に、ご縁の皆様の御霊がお祀りされるという事はどういう事でしょうか?

仏壇やお墓が他の建造物と異なる最大の特徴は、人から拝まれる礼拝建造物であるという事です。

各家ごとの仏壇やお墓は、ご家族やご親族の皆様からしか拝まれませんが、帰郷庵は共同の仏壇、共同のお墓ですから、大勢の参拝者の皆様から拝まれます。

以前、菩薩様にお墓を建てるご相談をなさったお方がおられますが、その時菩薩様は、こうおっしゃいました。

墓を建てるのであれば、先ず墓を建てる前に、自分の心の中に墓を建てる事に気付きなさい。自分の心の中に墓を建てないで、ご先祖様の墓を建てたって、どこに幸せがあるかと言う事です。
ご先祖様の墓を建てようと言う心が起きたという事は、ご先祖様が、「お前達の心の中に墓を建てなさいよ」と教えておられるという事です。
神仏を拝むでしょう。お墓も手を合わせて拝むでしょう。だから、自分の心の中に墓を建てるという事は、人から拝まれる様な人間に成れよと言う事です。
心の中に墓を建てなさい。そうしたら人から拝まれますよ。
心の中の墓を建てなさいと言う事は、人に対して親切を施しなさい、真心を施しなさい、お世話をしなさい、そうした心に成りなさいと言う事です。
そうしたら人から、有り難う御座いますと言って、必ず手を合わされますよ。

帰郷庵には「心の中に帰郷庵を建てて欲しい」という菩薩様の願いが込められていると、最初に申しましたが、菩薩様が願っておられる「心の中に帰郷庵を建てて欲しい」という意味が、これでお分かり頂けたと思います。

要するに、「心の中に帰郷庵を建てて欲しい」とは、「人さまから拝まれる人間になって欲しい」という意味であり、これこそが、菩薩様が帰郷庵に込められた願いなのです。

菩薩様は、帰郷庵を通して、「大勢の人々から拝まれる人間になって、帰郷庵へ帰って来て下さい。それが、帰郷庵に込めた私の願いです」と、教えておられるのです。

先ほどお話したように、帰郷庵はお堂であり、お堂というものは、み仏様が入られる聖所です。

夢殿と汗露臺は、身代り升地蔵菩薩となって代受苦の御汗を流しておられる菩薩様がおわしますお堂ですから、ご縁の皆様と雖も、入る事は出来ませんし、そこにお祀りされる事もありません。

しかし、帰郷庵はお堂ではありますが、納骨堂ですから、ご縁の皆様も、み仏様と一緒にお祀りされるのです。

お祀りされるのは、原則として亡くなってからですが、菩薩様は、亡くなってからではなく、生きている内に帰郷庵へ帰って来て欲しいと願っておられるのです。

生きている内に帰郷庵に帰るには、どうすればいいのでしょうか?

今お話したように、人から拝まれる人間になればいいのです。


真の生前帰郷とは


帰郷庵へのご納骨には、ご生前にご納骨のお申し込みをされる「生前帰郷」と、死後にご納骨のお申し込みをされる「死後帰郷」がありますが、菩薩様が「死後帰郷」とは別に「生前帰郷」を設けられたのは、ただご生前に納骨の申し込みをして頂きたいからではありません。

生きている内に、人から拝まれる人間となって、帰郷庵へ帰ってきて欲しいと願っておられるからです。むしろその事に、「生前帰郷」を設けられた真の意味があると言ってもいいでしょう。

何故、菩薩様は、「人から拝まれる人間となって帰郷庵へ帰ってきて欲しい」と願っておられるのでしょうか?

それは、人から拝まれる人間となる事が、誰の為でもなく、自分自身や子々孫々の幸せとなるからです。

菩薩様は、お大師様より「入定せよ」との示現を頂かれ、お大師様と不二一体の生き仏となられました。

そして、御入定に先立ち、「私は先に高野山法徳寺に行き、みんなが帰るのを待つ」と仰せになられましたが、これこそ、菩薩様が誰よりも早く生前帰郷を果たされ、後に続く私達に手本となるべき生き方を示された証と言えましょう。

このお言葉には、「人から拝まれる人間となって法徳寺へ帰ってきて欲しい」という切なる願いが込められているのです。


「帰郷庵」の形


菩薩様の願いを知る上で、もう一つ見逃してはならない事があります。それは、帰郷庵の形です。

何故帰郷庵は、お墓ではなく、お堂なのでしょうか?

もし帰郷庵が、納骨される皆様が入られる共同のお墓であり、人から拝まれる人間になって欲しいという願いの下に建立された建造物なら、お堂ではなく、納骨用のお墓(永代供養墓)であってもいい筈です。

現に、ご遺骨を納める聖所として、いま全国の寺院で盛んに建立されているのが、永代供養墓(永代納骨墓)と呼ばれる、石で作られた共同墓なのです。

にも拘らず、菩薩様は、永代供養墓ではなく、帰郷庵という納骨堂を建立なさったのです。

何故お堂なのか?そこには、どのような願いが込められているのでしょうか?

実はその願いを形に現したのが、帰郷庵なのです。

帰郷庵の内部は、真ん中で二つに仕切られ、前部は、ご本尊様がお祀りされる「礼拝壇」、後部は、ご遺骨が納められる「納骨壇」となっています。

「納骨壇」には、更にご本尊様の智慧の世界を象徴する「金剛窟」と、慈悲の世界を象徴する「胎蔵窟」が設けられ、ご納骨されたご遺骨は、「金剛窟」「胎蔵窟」の二ヶ所に納められるようになっています。

古歌に、
右ほとけ 左凡夫と合わす手の
内にゆかしき 南無の一声
と詠われているように、この形は、「礼拝壇」にお祀りされているご本尊様と、「納骨壇」に納骨されるご縁の皆様が、相互に拝みあっている合掌の姿を現しています。

それだけではありません。実は後部の「納骨壇」も、金剛窟と胎蔵窟に納骨された皆様同士が相互に拝み合う形になっているのです。

つまり、帰郷庵全体が、菩薩様のみ心である「相互礼拝、相互供養、同行二人」の形を現した聖所となっているのです。

帰郷庵の内部がすべて合掌の形として現され、「相互礼拝、相互供養、同行二人」の世界を現しているのを見れば、何故菩薩様が、お墓の形をした永代供養墓ではなく、お堂の形をした帰郷庵を建立なさったのか、そのみ心がよく分かります。

菩薩様が帰郷庵の内部を真ん中で二つに区切られ、ご本尊様と私たちが拝みあっている合掌の形に作られたのは、「大勢の人々からだけではなく、ご本尊様から拝まれるまでの魂の磨きぬかれた人間になって欲しい」と願っておられるからです。

帰郷庵は、まさにその願いの下に建立されたお堂と言ってもいいでしょう。


仏助ける人となれ


どうすれば、み仏から拝まれる人間に成る事が出来るのでしょうか?

菩薩様の御法歌の中に、
み仏に 利益(りえき)りやくとたのむより
仏助ける 人となれ人
人思い 衆生助くるみ仏を
助くる心が わが身を助く
という法歌がありますが、み仏にご利益を求め、願いをかける人は大勢いますが、み仏をお助けしようとする人は稀であります。

何故なら、誰もが、み仏様は私たちを救って下さるお方であって、私たちがみ仏様をお助けするなどありえないと考えているからです。

「み仏をお助けする」という事は、「一人一人が菩提心に目覚め、衆生済度にご苦労していて下さるみ仏を少しでもお手伝いをさせて頂く」という事です。

その心(菩提心)に目覚めた時、晴れて、生きているこの身このままで、「帰郷庵」へ帰らせて頂く事が出来るのです。

ご本尊様が待ち望んでおられるのは、この心以外にはありません。


拝まれているわが身


紀州高野山へ行きますと、奥の院のお大師様の御廟前で、手を合わせながら一心に拝んでいる大勢の参拝者を見かけます。年間200万人もの方々が、様々な思いや願いや悩みを抱きながら、お大師様の御廟前で拝んでおられます。

200万人もの参拝者が訪れる御廟では、200万通りの願いや悩みが、お大師様に向けられていますが、それだけの願いを向けられているお大師様のご苦労はいかばかりかと、嘆かざるを得ません。

勿論、どんな願いや悩みを打ち明けても、お大師様は耳を傾けて下さるでしょう。決して私たちを見放したりはなさいません。

しかし、お大師様は、私達が願わなければ耳を傾けて下さらない訳ではありません。

どんな願いをかけようが、かけまいが、お大師様は、私達の救いを願い、片時も休みなく祈って下さっているのです。

私達は、お大師様から、救いを祈られ、拝まれている存在である事を忘れてはなりません。

しかし、200万人もの参拝者の中で、その事を知っているお方が、果たして何人いるでしょうか?

もし自分がお大師様から救いを祈られ、拝まれている存在だと分かれば、もうこれ以上、お大師様に、あれこれ願う心が起きてくる筈はありません。

起きてくる心があるとすれば、「お大師様の願いに応えられなくて申し訳ありません」というご懺悔の心と、「いつも私の救いを祈って頂き、有り難うございます」という感謝の心だけでしょう。

もしその心に目覚める事が出来れば、その先にあるのは、「お大師様のご苦労の百分の一でも千分の一でもいいからお手伝いさせて下さい」と言う菩提の心(慈悲心)しかありません。

この心こそ、菩薩様が、目に見えない精神的世界(心の中)に建てて欲しいと願っておられる帰郷庵の真の姿なのです。

この心に目覚める事が出来た時、帰郷庵は、もはやただの納骨堂ではなくなり、私たちにとって、限りない力を遺憾なく発揮するパワースポットとなるのです。


平成27年9月10日


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