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「何事だ」と「何故だ」の違い(2)菩薩様に導かれて旅立たれたKさんの母ご同行のKさんが、昨年(平成23年)10月20日の納骨堂「帰郷庵」の落慶法要前日に頂かれた中央自動車道・神坂峠でのお計らいについては、「何事だと何故だの違い(1)」で詳しくご紹介しましたが、神坂峠でのお計らいには、ご紹介した内容以外にも、菩薩様の深いみ心が隠されていた事が、今年になって明らかになりました。 神坂峠でのお計らいから四ヶ月ほど経った今年(平成24年)2月18日、Kさんのお母さんが突然この世を旅立たれました。 介護施設に行く時間になっても起きて来ないので様子を見に行ったところ、すでに布団の中で息を引き取っておられたそうです。 ご家族にとっては余りにも突然の旅立ちでしたが、寝込む事も、長患いする事もなく、菩薩様は、お母さんにとってもKさんのご家族にとっても一番良い形で、最期を迎えさせて下さったのではないかと思います。 葬儀の手配をする為、Kさんが葬儀屋さんに連絡を取ったところ、葬儀屋さんのお父さんが亡くなられ、その葬儀と重なったため、お母さんの葬儀は、2日間延びる事になったそうです。 普通でしたら、翌19日がお通夜、20日がお葬式になるところが、葬儀屋さんの事情で、お通夜が21日、お葬式が22日になった訳ですが、これが実は、菩薩様のお計らいだったのです。 ご逝去の知らせを頂いた私は、葬儀が2日も延びた事の裏に、菩薩様のお計らいが隠されている事を、Kさんにお伝えする為、手紙を書きました。 Kさんへの手紙心拝 お母さんが帰郷庵に導かれた証この手紙は、お通夜が行われた21日にKさん宅へ届けられ、早速その夜のお通夜から、お送りしたお線香を使われたそうですが、この手紙によって、Kさんは、葬儀が2日間延びたのは、菩薩様が、お母さんを弥陀の浄土へ導かれる事を教えんが為であると確信されました。 しかし、お計らいは、これだけではありませんでした。 お母さんが菩薩様に導かれて旅立たれた弥陀の浄土とは、経典に説かれているような十万億土彼方にある西方浄土ではなく、菩薩様がおられる魂の故郷・高野山法徳寺ですが、肉体なき後の目に見えぬ世界での出来事ですから、果たして、お母さんが菩薩様に導かれて高野山法徳寺へ帰郷されたかどうかは、誰にも分りません。 そこで、菩薩様は、目に見える証を通して、Kさんのお母さんが間違いなく、高野山法徳寺へ帰郷された事を明らかにされました。 法徳寺では、毎月21日に法要が営まれますが、「帰郷庵」の扉は、法要のない日は閉められ、法要のある21日だけ開けられるようになっています。 2月21日の法要の朝、いつものように帰郷庵の扉を開けに行ったところ、何故か、お堂の中に蝉の亡骸が落ちていたのです。 私は、「夏でもないのに、いつも閉め切っている帰郷庵の中に、何故蝉の亡骸が落ちているのだろう。どこから入ったのだろう」と不思議に思いましたが、その亡骸を見た瞬間、私の脳裏に、Kさんに差し上げた手紙の文面が浮かんできたのです。 「亡くなったのは、現世で生きる上において必要な肉体という器(蝉の抜け殻)だけで…」 その直後、私は、「この亡骸こそ、Kさんのお母さんが菩薩様に導かれて帰郷庵へ帰ってこられた証に違いない」と確信しました。 ご承知のように、「帰郷庵」は、菩薩様にご縁を頂いた皆様が救われて帰郷され、衆生済度のお手伝いをして頂く聖所であると同時に、肉体をお返しする時には、そのご遺骨(亡骸)を納めて頂く聖所でもあります。 その遺骨(亡骸)を納めて頂く「帰郷庵」に、お通夜が営まれた21日、蝉の亡骸が落ちていたのです。私の眼には、蝉の亡骸が、帰郷庵に帰ってこられたKさんのお母さんの象徴であるように見えました。 ただの偶然に過ぎないと思われるかも知れませんが、この日に、納骨堂である「帰郷庵」の中に落ちていなくてもいい筈です。しかも、落ちていた場所が、汗露臺の中でも境内の一角でもなく、納骨堂である「帰郷庵」の中である事に、菩薩様の深い慈悲心を感じないではいられませんでした。 納得出来なかったことこうして菩薩様は、Kさんのお母さんが帰郷庵へ導かれた事を、お線香と蝉の亡骸という、誰の目にも見える証を通して明らかにされましたが、菩薩様のお計らいは、さらに奥深いものでした。 昨年10月19日、Kさんご一行は、中央自動車道・神坂トンネルの手前で車が動かなくなるというアクシデントに見舞われましたが、これは、Kさんご一行が、帰郷庵の落慶法要に参列させて頂く為には、どうしても越えなければならない試練の行でした。 しかし、私には、お計らいの中で、どうしても納得できない事が一つありました。 それは、JAFのレッカー車の荷台に、動かなくなった車ごと乗せられて神坂峠を越えたのは3人だけで、Kさんと奥さんの2人は、荷台ではなく、レッカー車の助手席に乗っておられた事です。 私は、5人全員が、荷台に積まれた車に乗っておられたと思っていたのですが、後にKさんから、「車の中にいたのは3人だけで、私と家内は、レッカー車の助手席に乗っていました」とお聞きし、それ以来、「何故なのだろう」という疑問がくすぶり続けていたのです。 ご承知のように、帰郷庵は、ただの納骨堂ではなく、遺骨となって帰郷された皆さんが祀られ、拝まれるお堂です。つまり、菩薩様が、「人から拝まれ、神仏から拝まれるまでの魂の磨き抜かれた人間に生まれ変わって、帰って来て欲しい」という願いの下に建立されたお堂であり、帰郷庵に帰ってこられる皆さんは、菩薩様の衆生済度のお手伝いという大きな使命が与えられるのです。 だからこそ、菩薩様は、「汚れをすべて吐き出し、身も心も清らかになって帰ってきて欲しい」という願いを込めて、帰郷庵の落慶法要に参列するKさんご一行を清めるべく、あのようなお計らいをなさったのです。 そうだとすれば、5人全員が、レッカー車の荷台に積まれた車の中に乗っていなければならない筈ですが、荷台に積まれた車の中に乗っていたのは3人だけで、Kさんと奥さんのお二人は、レッカー車の助手席に乗っていたのです。 何故、お二人だけが、菩薩様の救いの蓮台であるレッカー車の荷台に乗る事が出来なかったのか。5人を清める為のお計らいというだけでは、どうしてもその事が説明できず、その疑問が私の心の中でくすぶり続けていたのです。 しかし、お計らいから四ヶ月余りが経った今年2月18日、Kさんのお母さんが亡くなられ、菩薩様に導かれて帰郷庵へ帰られた証が示されて、ようやくその疑問が解けたのです。 お計らいの真相要するに、昨年の神坂峠でのお計らいは、ただ帰郷庵の落慶法要に参列するKさんご一行を清める為だけのお計らいではなかったのです。 先ほどもお話したように、帰郷庵は、お大師様、菩薩様の衆生済度のお手伝いをさせて頂く皆さんが帰られる聖所であり、帰郷庵へ帰郷させて頂くためには、身心を清める必要があります。 帰郷庵の落慶法要に向かうKさんご一行が、神坂峠でお計らいを頂かれたのは、その為ですが、身心を清める必要があるのは、生きているお方だけでなく、死んでから帰郷されるお方も含まれるのです。ですから、今年2月に亡くなられたKさんのお母さんもまた、帰郷庵へ帰らせて頂く為には、身心を清める為の行をしなければなりません。 しかし、介護施設に通い、体も弱っていたお母さんには、身心を清める行をする事は不可能であり、誰かが代わって行をする以外にはありませんが、誰が、どのような行をすれば、お母さんに代わって行をしたことになるのか、私達には分りません。 そこで、すべてを見抜き見通しの菩薩様が、お母さんの代わりに行をする者を選ばれ、その方に、行をさせて下さいました。そのお方が、神坂峠でお計らいを頂かれたKさんと奥さんのお二人であり、お二人がレッカー車の助手席に乗って神坂峠を越えられた事が、まさにその行だったのであります。 当時は、お母さんもまだ健在で、まさか四ヵ月後に亡くなるとは夢想だにしませんでしたが、菩薩様は全てを見抜き見通しておられますから、きっとお母さんを帰郷庵へ導くため、前もってKさんと奥さんのお二人に、お母さんの行を代ってさせておいて下さったに違いありません。 あの時の行があったからこそ、お母さんは、晴れて、菩薩様に導かれて帰郷庵に帰らせて頂く事が出来たのだと思います。 一緒に車に乗っていた他の3人のご同行は、ご自身の罪汚れを清めさせて頂く為の行だったから、菩薩様の蓮台であるレッカー車の荷台の上に積まれた車に乗って、峠を越えさせてもらえたのですが、Kさんと奥さんは、お母さんの行を代わってしなければならなかったから、蓮台である荷台ではなく、助手席に座って峠を越えなければならなかったのです。 菩薩様に導かれて、この世の浄土である高野山法徳寺へ帰られた事は、お線香と蝉の亡骸という二つの証によって明らかになりましたが、お母さんが帰郷庵へ導かれるには、導かれるだけの理由があったのです。 それが、昨年、Kさんご夫妻が帰郷庵の落慶法要に参列させて頂くに当たり、どうしてもさせて頂かなければならなかったお計らいの行だったのです。 あの行は、Kさんご夫妻にとって、帰郷庵の落慶法要に参列させて頂くために、身心を清める為の行であると同時に、やがて旅立つであろうお母さんに代ってさせて頂いた行でもあったのです。 合掌 平成24年5月24日 「何事だ」と「何故だ」の違い(1) | ||
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