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お念珠についてお念珠の起源お医者さんには聴診器、弁護士には六法全書が必需品であるように、お念珠(お数珠)は我々僧侶にとって無くてはならない法具の一つで、お念珠のお世話にならない日は一日たりとてありません。 み仏を念じる時に使うから、お念珠(おねんじゅ)と言い、お唱えするご真言の回数を数えるのに使うから、お数珠(おじゅず)と言われますが、『仏説木槵子経(ぶっせつもっけんしきょう)』というお経には、お念珠(お数珠)が使われるようになった起源が、詳しく説かれています。 それによれば、「お釈迦様の所へ、難陀国(なんだこく)の波瑠璃(はるり)王から使者が訪れ、『わが国は、盗賊が横行し、疫病が流行して、国民は苦しみあえいでいます。私も、日々心の安らぐ事がありません。直接お会いして、教えを乞いたいのですが、それも叶いません。どうか心に安らぎを得る法をお授け下さい』と哀願してきたので、お釈迦様は、「木槵子(注1)百八個に穴をあけ、糸を通して輪を作り、常にこれを身に付け、行住坐臥に離さず、至心に木槵子を爪繰り、仏を念ずれば、やがて不安が除かれ、無上の悟りを得る事が出来るでしょう」と教えられたのが、お念珠の始まりとされています。 二十万遍念じて天界に生まれ、百万遍念じてついに百八煩悩を退治したとも説かれていますから、お念珠の功徳がいかに大きいかを窺い知る事が出来るでしょう。 お念珠の種類と各部の名称と意味お念珠は、様々な迷いや苦しみの因である百八煩悩の障りを取り除く為に使われる法具ですから、百八煩悩を現す百八個が念珠の基本数になります。 これを「本連念珠(ほんれんねんじゅ)」と言い、本連を二分した五十四個の念珠を「半連念珠」、それを二分した二十七個の念珠を「四半連念珠」と言います。 他にも、四十二個や、それを二分した二十一個、三十六個や、それを二分した十八個など、様々な数のお念珠があり、宗派によっても、数や意味に違いがあります。 真言密教で使われるお念珠についてお話しますと、百八個の小珠は、百八煩悩と金剛界百八尊を現し、これを大きく二分する二つの大珠を達磨(Dharma・たらま)と言い、一方を母珠(もしゅ、おやだま)、もう一方を緒留め(おどめ)と言います。 達磨が二つあるのを両達磨、一つあるのを片達磨といい、阿弥陀如来の徳を現しています。 母珠に二分された五十四個の小珠の七個目と二十一個目の次に、左右各々二つの小珠があり、これを四天(してん)と言います。 真言を七遍、或いは二十一遍唱える時の便宜上つけられたものですが、この四つの小珠は、阿弥陀如来の四親近菩薩(ししんごんぼさつ・注2)である金剛法菩薩、金剛利菩薩、金剛因菩薩、金剛語菩薩を現しています。 母珠と緒留めに付けられている房には、各々十個の小珠があり、これを記子(きし)と言い、十波羅蜜(注3)、或いは釈迦の十大弟子(注4)を現しています。 この記子の末端に、記子留め(きしどめ)と言われる珠があり、福徳と智慧によって荘厳するという意味から「福知の二厳」とも言われますが、露が滴るような形をしているので、俗に「露」とも呼ばれています。 母珠の傍にある小さな小珠を「補処(ほしょ)の菩薩」と言います。「補処の菩薩」とは、後継ぎの菩薩という意味で、母珠が阿弥陀如来を現していますから、この小珠は、阿弥陀如来の「補処の菩薩」である観自在菩薩を現しています。 また、各珠を貫く緒(ひも)は、観自在菩薩の徳を現し、真言行者が、法(真理)を観じる事において自在である事を示しています。 このように、お念珠には、百八個の小珠の他に、母珠一個、緒留め一個、記子が両房で二十個、露四個、四天四個、補処の菩薩一個を加えた、合計百三十九個の珠が使われていますが、それぞれに意味と役割のある事がお分かり頂けたと思います。 念珠の持ち方と掛け方お念珠の持ち方と掛け方にも決まりがあり、持つ時も掛ける時も必ず左手にします。 これは、古歌にも、 最近は、アクセサリーの一種(ブレスレット)として腕数珠(腕念珠)をしている若者も少なくなく、右手にしている人も時々見かけますが、今も言ったように、腕念珠は、オシャレの為ではなく、あくまで禍から身を守って頂く為にするものですから、左手にしなければ意味がありません(写真1)。 手で持つ時は、二匝(にそう・二重)にして、母珠と緒留めを上にして、やはり左手で持ちます(写真2)。 また拝む時は、お念珠を一匝(いっそう・一重)にし、母珠を上にして左腕に掛けます。 半連やそれより少ない数のお念珠で拝む時は、合掌した両手をお念珠に入れて拝むのではなく、先ずお念珠の中に左手を入れ、右手を添えて拝みます(写真3)。 お念珠を置く時は、三匝(さんそう・三重)にし、 お念珠を首に掛けておられる方も時々見かけますが、真言密教では、お念珠を首に掛けるのは、破門された事を意味するので、絶対にしてはいけないと言われています。 お念珠を摺る時は、母珠を右手の中指に掛け、緒留めを左手の人差し指に掛け、房は左右とも掌の中に入れ、右手を仰向け、左手を右掌に覆い、掌を横にして三度摺るようにした後、左手を前に滑らせるようにして止めます(写真5・注5)。 お念珠の制作に挑戦毎日、お念珠を使っていますと、緒(ひも)も次第にほつれて、突然切れたり、切れそうになるので、それまでに緒を新しく取り替えなければなりません。 今までは、数珠屋さんや仏壇屋さんにお願いしていたのですが、思い切って、自分で緒を取り替える事にしました。 在家の皆さんはご存じないかも知れませんが、緒の取り替えは、同じお念珠を新しく買うよりも高くつきます。 数万円も数十万円もする高価なお念珠なら別ですが、我々が毎日の行法や勤行に使う梅や柘植などの、三千円~五千円程度のお念珠なら、新しく買った方が安いのです。 緒を替えなければ使えないのですから、高くても止むを得ませんし、それが嫌なら新しく買えばいいのですが、お念珠の収集家でもない限り、緒が切れたり、切れそうになる度に新しいお念珠を買う訳にもいきません。 二つ目の理由、これが最も大きいのですが、お念珠には、拝む者の祈り(念)が自然に入っていくため、使い込めば使い込むほど霊験あらたかなお念珠となり、使い慣れたお念珠をいつまでも使い続ける事で、祈りも一層深まっていきます。 要するに、お念珠は、古くなればなるほど、使い込めば使い込むほど、念も入り、色合いも深まって、有難いお念珠になっていくのです。 経済的な理由から言えば、緒を取り替えるより新しく買った方が安くていいのですが、信仰上の理由から言えば、新しく買うより、緒を取り替える方がいいに決まっています。 この矛盾する問題を解決するには、自分で緒を取り替えるしかありません。 以前、お袈裟の一つである如法衣(にょほうえ)を手縫いした経験があり、今も毎日の行法に使っていますが、お念珠の緒の取り替えは、まだやった事がありませんでした。 と言うより、そもそもお念珠の緒の取り替えは、数珠屋さんや専門家に頼むもので、自分で取り替えられるほど簡単ではないと思い込んでいたので、自分で取り替えるという選択肢が今までなかったのです。 しかし、背に腹は代えられません。「人間、どんな事でもやってやれない事はない」と思い直し、お念珠の緒の取り替えをした経験のあるお方はいないかと探したところ、有難い事に、お念珠を修理した経験のある知り合いのお坊さんがいたのです。早速、彼に弟子入りして、緒の取り替えを教えてもらい、挑戦してみました。 お念珠の緒の取り替えは、見るからに難しそうで、最初はどうなる事かと案じましたが、いざ挑戦してみると、思ったより簡単でした。 勿論、必要な道具や材料のすべてを師匠が揃えて下さった上に、教え方がとても分りやすく、私は、ただ彼がする事を見ながら真似をすればよかったのですから、簡単なのが当たり前です。 緒の取り替え以外に、房も梵天もすべて自分の手作りですから、完成した時には、大きな感動に包まれました。 一つ作れば、誰でも作れますから、皆さんも是非挑戦してみて下さい。自分で作ってみれば分かりますが、それだけの価値が十分あると思います。 勿論、珠以外は全て手作りですから、それなりの苦労はありますが、完成した時の喜びは何ものにも代えがたく、人に作ってもらったお念珠では絶対に味わえません。 道具を最初に揃えておけば、一生使えますし、自分が緒を取り替えた念珠ですから、他人にしてもらった念珠よりも愛着がわいてきます。まさに、一石二鳥どころか、一石三鳥、一石四鳥と言っていいでしょう。
一般的によく使われる結び方は、皆さんもよくご存じの「止め結び」ですが、念珠の緒の取り替えには、「叶(かのう)結び」「つゆ結び(男結び)」「巻結び」などの結び方が使われ、特に「叶結び」は、願い事が叶うようにという意味合いが込められた、とてもおめでたい結び方なので、日常生活にも活用できます。 緒の編み方にも、三本の緒を使って編む「三つ編み」の他に、四本の緒を使う「四つ組み」、六本の緒を使う「六つ組み」、八本を使う「八つ組み」などがありますが、お念珠は、「四つ組み」で編みます。 男性用のお念珠二つと、女性用のお念珠一つの取り替えに挑戦し、出来上がったのが上の写真ですが、素人なりに上手く出来たと自画自賛しています。 お念珠の功徳お念珠三つの緒の取り替えと房の制作に三日間費やしましたが、最初から駄目だと言って、諦めるのではなく、何事も挑戦してみる事の大切さを、改めてお念珠から教わったような気がします。これもまたお念珠から頂いた功徳かも知れません。 仏前結婚式をされた方はご存じだと思いますが、式の中で、二人が結ばれた証として、戒師様より、新郎新婦に、お念珠が授けられます。 新郎は、新婦のお念珠を戒師様から頂いて新婦の左腕に掛け、新婦は、新郎のお念珠を頂いて新郎の左腕に掛け、共にみ仏の弟子となって、敬い合い、愛し合い、支え合いながら生きていく誓詞を述べるのですが、このお念珠には、ご先祖に対する敬いの心、供養の心を忘れないようにという教えと、二人が力を合わせて幸せな家庭を築いていけるようにという願いが込められています。 何故おめでたい結婚式にお念珠が授けられるのかと言えば、お念珠は、ただお葬式や法事に使う為のものではないからです。 一般の皆さんは、”お念珠はお葬式や法事の時にだけ使うもの”というイメージしか持っておられないかも知れませんが、それではお念珠の功徳も、本当の有難さも分りません。 お念珠は、生きている我々が心豊かに生きていく為にこそ必要なものであり、人としての真心を養う上で欠かせないものです。 お念珠の起源を見てもわかるように、常日頃から身近に置いて、心の安らぎを得る為に使ってこそ、お念珠の価値が光り輝き、その功徳をわが身に頂けるのです。 どうか一人でも多くの皆様が、お念珠の功徳を頂かれて、心安らかな日々を送られますよう、ご祈念申し上げます。 合掌 平成26年3月1日 | ||
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南天 |
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(注1)「モクゲンジ」とも読む。ムクロジ科の落葉高木で、果実の種子は黒くて固いので、念珠に適している。
(注2)金剛界の五仏(大日如来、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来)の各々に親近して、その徳の働きの一部を担う菩薩。 (注3)仏になる為に修めなければならない十の修行徳目。六波羅蜜(布施波羅蜜、持戒波羅蜜、忍辱波羅蜜、精進波羅蜜、禅定波羅蜜、智慧波羅蜜)に、四波羅蜜(方便波羅蜜、願波羅蜜、力波羅蜜、智波羅蜜)を加えたもの。 (注4)舎利弗(しゃりほつ)、摩訶迦葉(まかかしょう)、摩訶目犍連(まかもっけんれん)、須菩提(すぼだい)、富楼那(ふるな)、摩訶迦旃延(まかかせんねん))、阿那律(あなりつ)、優波離(うぱり)、羅睺羅(らごら)、阿難陀(あなんだ)の十人。
写真1
写真2
写真3
写真4
写真5
(注5)この他に、緒留めを右手の中指に掛け、母珠を左手の中指に掛け、房は左右とも掌の中に入れ、左手を仰向け、右掌を左手の上に覆い、掌を横にして三度するようにした後、右手を手前に引くようにして止める流派もある(写真6)。
写真6
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