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法徳寺のお餅つきは何故29日なのか!



9に対する人間の様々な思い


今日は、毎年恒例の餅つきの日です。

「昔ながらの臼と杵を使って」と言いたいところですが、フル稼働しているのは、二台の餅つき機です。ご本尊様へのお鏡餅を沢山つかないといけないので、この日ばかりは、餅つき機様々です。

さて、29日は「苦餅」につながるからと言って、この日を避けるお宅が多く、世間の一般常識ではそうなっているようですが、法徳寺では、毎年12月29日を餅つき日と決めています。

何故敢えて「苦餅」につながる29日を選ぶのか?

答は簡単です。「9=苦」とは考えていないからです。

例えば、陰陽師・安倍晴明でお馴染みの陰陽道では、万物を奇数(陽)と偶数(陰)に分け、陽の極数(最大奇数)である9は、最も縁起の良い数字と言われています。相輪

五重塔や三重塔や多宝塔の天辺に、天に向かって立っている相輪(そうりん)に付いている輪も、九つあります。

九輪(くりん)とも言われるのはその為ですが、もし「9=苦」であるなら、み仏をお祀りする塔の天辺に、わざわざ縁起の悪い九輪を据えるでしょうか。

陽の極数が二つも重なる9月9日は、五節句の一つ「重陽の節句」で、古来お目出度い日とされています。

また、「苦餅」につながるという理由で避けられる29日を、「ふくび(福日)」と読み替えれば、29日につくお餅は「苦餅」ではなく、逆の「福餅」という事になります。

もし29日は「苦餅」につながるから避けた方がよいと思われるなら、29日のお餅つきは、「苦を尽く」、つまり「苦しみが尽きるお餅つき」という意味合いを込めて行えばよいのではないでしょうか。

このように、苦につながると考えられている29日が、見方を変えれば、お目出度い数字に大変身するのです。

何故そうなるのかと言えば、「9=苦」とは決まっていないからです。

と言うより、9はただの数字の9に過ぎず、吉でも凶でも、それ以上でもそれ以下でもありません。

それは、7がただの7であり、8がただの8であるのと同じです。

しかし、世間では、7はラッキーセブン、8は末広がりで、共に縁起がよいとされ、9は苦につながるから縁起が悪いとされています。

一体誰が、何を基準に、ただの数字に過ぎない7や8はお目出度くて、9は苦につながるから縁起が悪いと決めたのでしょうか?

犬や猫が、9を嫌がったり、8を目出度いと言って喜んでいる姿は、見た事がありません。また、9が自ら、「私は苦につながるから避けなさい」と言っている訳でもありません。

私たち人間だけが、「9=苦」と捉えて、忌み嫌っているのです。


幽霊の正体


勿論、苦を避けたいという気持ちは、万人共通の思いであり、それを否定するつもりはありません。そういう私自身が、実は誰よりも苦を避けたいと願っている一人でもあるからです。

しかし、幾ら苦を避けたいと願っても、苦の方から避けて通ってくれる訳ではありません。

もし苦の方から避けてくれるなら、この世で苦しむ人は一人もいないでしょう。

それどころか、現実は、苦を避けたいと思っている人のところにこそ、望まぬ苦が近寄ってきているのではないでしょうか。お餅つき

その証拠に、長年29日に餅つきをしてきましたが、「9=苦」と思っていない私達のところへは、何故か疫病神も近づいてきてくれません。

何故でしょうか?

答えは簡単です。9という数字が、苦を招いている訳ではないからです。

苦を引き寄せているのは、実は、「9=苦」と考え、9を忌み嫌っている私達の思いなのです。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という俳句があるように、怖い怖いと思っていると、何でも怖いものに見えてきます。

「苦でも何でもお越し下さい」と思っている人のところには、苦はやってきたくても来れません。何故なら、その気持ちがある人にとって、苦はもはや苦とはなりえない無害なものとなっているからです。

お化け屋敷に入っても怖がらない人がいますが、幽霊役の人にとって、これほど嫌なお客はいないでしょう。怖がらせなければいけないのに、怖がってくれないのですから、幽霊の出る幕がありません。

「苦でも災難でも、どんなに不都合な事でも全て受け入れます」と腹をくくった人の勝ちです。何事も在るがままを受け入れられる気持ちを持った人ほど、強いものはありません。

疫病神は、そんな人の所にはやってきません。疫病神に魅入られるのは、それを恐れ、苦を忌み嫌っている人なのです。


お鏡餅を供える心構え


ご存じのように、お鏡餅は、三種の神器である鏡を模したもので、年神様(としがみさま)が宿る依り代(よりしろ)と言われています。

年神様は、新しい年の幸福をもたらす福の神様で、その福を頂くという意味から、お正月には、家族揃って、年神様の福が宿る鏡餅をお雑煮にして頂くのが、古くからの慣わしです。お鏡餅

天照大神の依り代である鏡は、福の神の象徴であると同時に、私達の心をありのままに映し出す穢れなきものの象徴でもありいますから、鏡を象徴する鏡餅を作り、お供えする心構えが、とても大切なのです。

つまり、「疫病神はお断りです。福の神様だけお越し下さい」という自己中心的な分別心ではなく、「疫病神様も福の神様も、すべて受け入れますから、どうぞお越し下さい」という大いなる慈悲の心、穢れなき無分別の心を込めてお供えするのがお鏡餅であり、その心を待っておられるのが年神様なのです。

何故なら、その穢れなき心こそが、福を運んできて下さる福の神の正体だからです。

29日は、その大切な気持ちを再確認させて頂く日であり、お餅つきは、その気持ちをお鏡餅に込めて、ご本尊様にお供えする大切な行事なのです。

世間では「苦餅」につながるから避けた方がよいと言われる29日のお餅つきですが、法徳寺では、いまお話した理由から、新しい年を迎える心の準備をする意味で、毎年この日にお餅つきをさせて頂いているのです。

合掌


平成27年12月29日

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