桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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生きる目的を見失っているあなたへ(3)



人間として生きる意味


「人間に生まれて来れた事は、奇跡と言っても過言ではない」と申し上げましたが、実は、あなたに知って頂きたい本当の奇跡とは、この事ではありません。

人間に生まれて来れた事も奇跡には違いありませんが、本当の奇跡は、生まれた後に待っています。

人間に生まれて来れた奇跡が、私達の力の及ばない奇跡とすれば、生まれた後に待っている奇跡は、自らの意志で成し遂げられる奇跡と言っていいでしょう。

しかも、この奇跡は人間に生まれた時にしか起せません。人間に生まれた時にだけ巡って来るチャンスなのです。

大袈裟な言い方をすれば、最初で最後のチャンスと言ってもいいでしょう。

もう一度人間に生まれて来れるという保証はありませんから、最後のチャンスと言っても過言ではないと思います。

奇跡と言っても、箱の中の人間が消えたり、空中に浮いたり、真っ二つに切り裂かれた胴体が元に戻ったりするような、マジックまがいの話ではありません。

種も仕掛けもなく、その心を発しさえすれば誰でも叶えられる奇跡です。

もしあなたが、普遍的な生き方(生きる目的)について知りたいと思えば、人間にしか起こせない奇跡とは何かを知らなければなりません。

その奇跡が何かを知る事が出来れば、「生きる目的」も自ずと見えてきます。

但し、一つだけ心の中に刻んでおいて頂きたい事があります。

それは、いくらチャンスに巡りあえたとしても、その心を発さなければ、奇跡は永遠に起こせないという事です。

しかも、人間の命は朝露の如くはかなく、限りがあります。奇跡を起せるチャンスは人間に生まれて来れた今生のたった一度きりであり、残された時間も決して長くはない事を、どうか忘れないで頂きたいと思います。


人間と他の生類との違い


あなたの周囲を見渡してみて下さい。何が見えますか?

大地と空と海があり、そこには様々な生き物が生息しています。

空を見上げれば鳥が自由に飛びまわり、大地には草花が咲き、犬や猫をはじめ、様々な生き物が生きています。地下には、目に見えないありとあらゆる微生物もいます。

人間のような高等な生き物もいれば、アメーバのような下等な単細胞生物もいて、共存しながら生きています。

勿論、人間であろうが、アメーバであろうが、犬や猫であろうが、野辺に咲く草花であろうが、空に舞う鳥であろうが、海に泳ぐ魚であろうが、産みの苦しみと様々な試練を乗り越えて誕生した一つの生命体であり、地球というかけがえのない家に住む運命共同体である事に変わりはありません。

しかし、同じ生命体であり運命共同体であっても、人間として生まれた者と、その他の生類として生まれた者とでは、生きる目的も意味も全く違います。

決定的に違う点は、人間以外の生類は、いくら逆立ちしても、人間に生まれた者が起こせる奇跡を起こせないという事です。


生死の中の善生、最勝の生なるべし


人間に起こせて、他の生類には起こせない奇跡とは何でしょうか?そもそも、人間として生きるのと、犬や猫として生きるのとでは何が違うのでしょうか?

仏教では、あらゆる生類が生きる世界を、「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩、仏」(注1)の十界に大別し、人間を人間界に、犬猫を畜生界に配しています。

人間界も畜生界も、仏教では迷いの世界の一つに過ぎませんが、同じ迷いの世界であっても根本的に違う点があります。

道元禅師が、「生死の中の善生、最勝の生なるべし」(注2)と説いておられるように、人間の身は、六道(迷いの世界)の中で最も勝れた命であるという点です。

何故かと言えば、人間に生まれた者だけが、先ほどからお話している奇跡を発す心を発せるからです。

仏教では、その心を菩提心(注3)と言いますが、残念ながら、菩提心は慈悲心とも言い、信心とも言い、良心とも言い、お悟りを求める心でもあり、自己を捨てて他人を救おうとする心でもあり、金剛石の如く壊れる事のない心でもあり、覚者の如く恐れなき心でもある為に、これを一言で説明する事は大変難しいのです。

いまここで申し上げられる事は、菩提心を発せるのは人間だけであり、人間に生まれて来れた者だけが、果てしない生死の苦しみに翻弄されている六道(迷い)輪廻の世界に終止符を打ち、お悟り(涅槃、極楽、仏)の世界に生まれ変われるという事です。

六道の内、地獄、餓鬼、畜生、修羅の世界は、四悪道(四悪趣)とも言われているように、苦しみばかりの世界であるため、菩提心を発す心の余裕がありません。

一方、自分の欲望がすべて満たされ、楽しか知らない天上界は苦しみがないため、この世界も、四悪道と同様、菩提心を発す事が非常に難しいのです。

つまり、苦もあり楽もある人間界だけが、お悟りの世界に生まれ変わりたいという菩提心を発すには、最も勝れた世界であり、道元禅師が、「生死の中の善生、最勝の生なるべし」と言われる所以もそこにあります。

様々な苦しみや挫折の苦汁を味わい、自分の人生に失望しているお方も大勢おられると思いますが、知っておいて頂きたいのは、苦しみや挫折や失望があるからこそ、お悟りの世界に生まれ変わりたいという菩提心を発す事も出来るという事です。

今まで苦しいだけだった悩みや挫折や様々な試練も、菩提心を発す為に与えられたものと分れば、かけがえのないものに変わります。

そして、それが出来るのは、人間だけなのです。あなたが感じている苦しみや試練は、あなたにしか変えられません。

結局、菩提心を発す為に与えられた苦しみや様々な試練を悟りに変え、六道輪廻の人生に終止符を打つか、それとも、苦しいままで人生を終え、果てしない六道輪廻の旅をこれからも続けていくか、道は二つに一つしかありません。

そして、それを決めるのはあなた自身なのです。


人間の本当の幸せ


あなたは、人間に生まれて何が最も幸せで有り難い事だと思いますか?

雨露がしのげる家屋敷に住める事でしょうか、それとも、好きな所へ旅行したり、美味しい料理を食べたり、衣装や化粧で着飾ったり、暖かい布団で眠れる事でしょうか?

確かにそれも幸せな事には違いありません。人間と他の生類を比べた場合、あらゆる面において、人間ほど恵まれている生類は他にいないでしょう。

しかし、立派な家屋敷に住んだり、好きな所へ旅行したり、美味しいものを食べたり、綺麗な洋服や化粧で着飾ったり、暖かい布団で眠れる事が人間の本当の幸せではありません。

人間に生まれた者にとって最も有り難い本当の幸せとは、人間に生まれて来れたお陰で、六道輪廻の人生に終止符を打ち、お悟り(仏)の世界に生まれ変われる事です。

これ以外に、人間に生まれて来れた最高の幸せなどあろう筈がありません。

言い換えれば、いま私達は、そのお悟りの世界に生まれ変われる千載一遇の好機を頂いているという事です。

この世の中には様々な損得といわれる出来事がありますが、この世の中で最大の損失とは何でしょうか?

株を買って大損をする事でしょうか、それとも、振り込め詐欺にあって大金を騙し取られる事でしょうか?

先日も、資産家の女性が息子を名乗る男に1億円を騙し取られる事件がありましたが、これも確かに大損かも知れません。

しかし、本当の大損とは、六道輪廻の人生に終止符を打ち、お悟り(仏)の世界に生まれ変われる千載一遇の好機を頂いておりながら、そのチャンスをみすみす逃してしまう事です。


生きる目的とは


もうお分かりでしょう。

私達の「生きる目的」とは、この千載一遇の好機を逃さず、六道輪廻の人生に終止符を打ち、お悟りの世界に生まれ変わる事であり、これこそが、人間の身を与えられた私達が発すべき本当の奇跡なのです。

これ以外に「生きる目的」などありませんし、起こすべき奇跡もありません。

法徳寺の御開創を例にお話すれば、私達は菩薩様が御入定されてから、「我は先に法徳寺へ行き、みんなが来るのを待つ」と仰せになった法徳寺御開創の聖地を探し求めて精進してきました。

御入定から10年後の平成12年12月13日、ようやくご開創の聖地が見つかり、平成16年4月に悲願であった御開創が実現しましたが、法徳寺の御開創は、決して「生きる目的」でも、起こすべき奇跡でもなく、一つの夢が実現したに過ぎません。

「生きる目的」は、あくまで六道輪廻の人生に終止符を打ち、菩薩様がおられるお悟りの世界に生まれ変わる事であり、法徳寺のご開創は、その為の大切な一つのステップに過ぎないのです。

法徳寺の御開創という夢は、実現した時点で消えてなくなりましたが、「生きる目的」というともし火は、夢が実現しても消える事はありません。

六道輪廻の人生に終止符を打ち、お悟りの世界に生まれ変わるという「人生の目的」は、いついかなる時も目の前に存在し、今もこれからも私たちを導き、進むべき道を示し続けてくれるのです。

合掌

平成28年2月8日


生きる目的を見失っているあなたへ(1)
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(注1)「声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)、菩薩、仏」を四聖(ししょう)といい、「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上」を六道(ろくどう)という。

 

(注2)六道という六つの迷いの世界があるけれども、その中で最も勝れているのが人間界である。

 

(注3)弘法大師は、菩提心を四種類(四種の菩提心)に分けて説明している。
第一は信心。信心と言っても、ただの信心ではなく、どんな事があっても崩れない不動の信心(不動心)である。
例えば、自分にとって不都合な事が起これば崩れるような信心は、不動の信心ではない。
第二は大慈悲心。これは、自分より先に相手を彼岸(極楽)へ渡してあげようという心で、別名「行願心」とも言う。
第三は勝義心。文字通り、劣った教えを捨てて、正しい教えに帰依する心で、別名「深般若心」とも言う。
オウム真理教のように、救う為には人を殺しても構わないという教えや、ISILのように、神の名の下に無差別テロを正当化しているような教えに帰依してはならないというのが、勝義心である。
最後が大菩提心。これは、悟りを得て、一日も早くみ仏の世界に生まれ変わりたいという心である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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