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菩提の種を蒔く日かな(3)何をしなければいけないか芽の出る春と散ってゆく秋にお彼岸が設けられているのは、諸行無常と諸法無我の真理を教え、真理に従って生きる事の大切さを教えんが為ですが、世の中には、「限りある人生だから、好き勝手に生きなければ損だ。自分が幸せになる為であれば、人を苦しめ、傷つけても構わない。自分さえよければいいのだ」と言わんばかりの生き方をしている人もいます。 生き方は人それぞれでしょうが、大切なのは、すべてが移り変わっていく限りある人生だからこそ、どのような生き方をしなければいけないのかという事です。 振り込め詐欺被害は一向に減少する気配を見せず、巧妙な手口による新たな振り込め詐欺被害も増えていますが、限りある人生だから、人を騙してお金を奪い取ってもいいという理屈にはなりません。 一度しかないかけがえのない人生を、末代までも続く悪業、罪業を作る為に費やすほど愚かな事はないでしょう。 前回も述べたように、私たちは、一人では生きていけません。 どんな時でも、知らない誰かに助けられ、支えられているのです。 騙そうとしている相手が、ご縁の糸を辿っていけば、自分を支えてくれているかけがえのない一人かも知れません。その相手を騙し、お金を奪い取る事は、自分自身の首を絞めているのも同然です。 「人生はこだまなり」と言われるように、人を助け人に親切を施す事は、わが身を助け、人を騙し傷つける事は、わが身に唾し、傷つけているのと同じなのです。 蒔かねば実らぬ菩提の種お彼岸を詠った有名な俳句があります。 作者は不明ですが、お彼岸の趣旨を非常に上手く表現しています。 菩提の種を蒔くとは、人を思う心(菩提心)を発しなさいという事です。 私たちはみな、生まれた時から例外なく、仏となるべき種(仏性)を授かっています。しかし、種を蒔かなければ、いくら肥料をやり、水をやり、お天道様の恵みを頂いても、果実は実りません。まず菩提の種を蒔き、仏性の扉を開く事が大切なのです。 人間は、誰しも自分が可愛いものですが、だからこそ、お互いが相手を思いやる心を忘れてはなりません。その心が、菩提の種である菩提心です。 こんな譬え話をご存じでしょうか。 ある人が、地獄と極楽の食事風景を見に行ったところ、極楽では、みんな和気藹々と笑いながら楽しそうに食事をしているのに、地獄では、誰もが腹を空かせてやせ細り、目を吊り上げて罵り合っていました。 どちらの食卓にも、美味しそうな食事と、1メートルもある大きな箸が用意されていましたが、同じ物を使っているのに、何故こんなに違うのだろうと不思議に思い、よく見ると、地獄では、その箸を使って自分の目の前に置かれた食物を挟もうとしているのに対し、極楽では、その箸で、自分の前に座っている人の前に置かれた食物を挟み、その人の口に入れてあげていたのです。 地獄と極楽を分けていたのは、1メートルの箸を自分の為に使うか、相手の為に使うか、その使い方の違いでした。 その1メートルの箸は、目の前にいる人の口に入れてあげるのに丁度いい長さだったのですが、何故地獄へ堕ちた人々は、その事に気付かなかったのでしょうか? 哀しいかな、地獄へ堕ちた人々には、相手の事を思いやる心(菩提心)も、お互いを信頼し合う心もありません。 極楽に居る人たちは、つねに菩提心を忘れず、相手の身になって考える心を持っていますから、目の前の箸を見て、すぐに前に座っている人の口に入れてあげようという心を起こせたのです。 お互いがお互いを支え合っている極楽の世界では、すでに信頼し合う関係が築かれていますから、そうする事が当たり前に出来たのです。 ところが、地獄へ堕ちた人々は、菩提心を忘れ、自分の事しか頭にありませんから、目の前に座っている人の事が全く目に入りません。前に置かれている1メートルの箸を見ても、自分の為に使うという発想しか浮かばないのです。 その箸は自分の口に入れるには長すぎて使えないのですが、菩提心を忘れている地獄の人たちには、箸の正しい使い方が分りません。当然、相互の信頼関係も築けていませんから、お互いに食べさせ合う事も出来ません。 結局、地獄と極楽を分けていたのは、住む世界の違いではなく、そこにある同じ物を誰のために使うか、たったそれだけの違いに過ぎなかったのです。 同じ箸であっても、使い方次第で、お互いを生かす箸にもなれば、お互いを傷つけあう凶器にもなり得るように、心もまた相手を思いやる心(菩提心)として使うか、自分さえよければ相手が苦しんでも傷ついても構わないという自我我執の心として使うかによって、人生は大きく変わっていくのです。 これを見れば、極楽も、地獄、餓鬼、畜生の世界も、決してあの世の事ではない事が分かります。 相互供養、相互礼拝「相互供養、相互礼拝」という言葉があります。 「お互いを供養し、拝み合って行きましょう」という意味ですが、いまお話した極楽の食事風景は、まさに相互供養、相互礼拝の世界をよく現わしていると言っていいでしょう。 供養とは、文字通り、養ったものを供える事ですが、養い供えるものは、菩提心以外にはありません。この事から、「相互供養、相互礼拝」とは、菩提心を養い、お互いに供え合いましょうという意味である事がお分かり頂けると思います。 お彼岸はご先祖様を供養する日というイメージを抱いておられるお方も大勢おられると思いますが、菩提心を養い供える事が供養ですから、供養すべき相手は、決して亡くなったご先祖様だけではありません。 生きている者同士が、お互いに菩提心を養い、供え合う事も立派な供養であって、むしろ生きている人の供養こそが、真の生き供養と言っていいでしょう。 要するに、相手に親切な心を供え、優しい言葉を掛け、お互いが相手を労わり合い、言行想(身口意)、言葉と行いと思いを養って供え合う事が、生き供養なのです。 お彼岸は、ご先祖を供養する為だけの日ではなく、自分の中にある仏性に目覚め、菩提心を養い、相互に供え合う日でもあるのです。 「今日彼岸 菩提の種を蒔く日かな」と詠われている所以ですが、そうだとすれば、お彼岸中の一週間だけ菩提心を養い、あとは知らぬ顔では本末転倒であって、一年365日毎日が、菩提心の種を蒔くお彼岸でなければなりません。 み仏が、私たちに教えて下さっているお彼岸の心をしっかり心に刻み、お互いが怖い顔をして角を突き合わせ、睨み合うのではなく、和顔愛語で暮らしていけるよう、家庭でも、職場でも、地域社会でも、お互いが相互に供養し、礼拝し合っていかなければならないのです。 三途の川を渡るとはお彼岸の反対側を此の岸と書いて、此岸(しがん)と言いますが、昔から、「亡くなった人は、三途の川を渡ってあの世へ行く」と言われるように、此岸から彼岸へ行くには、三途の川を渡らなければなりません。 しかし、三途の川とは譬えであって、この世とあの世の間に、三途の川と名付けられた川が流れている訳ではありません。 三途とは、「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上」(六道)の中の「地獄、餓鬼、畜生」の事で、三悪道とも言います。 「地獄、餓鬼、畜生」の三途は何処にあるのかと言いますと、私たちの心の中にあります。あると言いましても、心で作る架空の世界ですから、本来はないのですが、迷っている内は、間違いなく夢の中に存在し、私たちを苦しめ続けます。 その為、六道は、よく夢に譬えられます。恐ろしい怪物に襲われる夢を見ている人にとっては間違いなく現実であっても、夢から目覚めた人にとっては、夢の中にだけ存在する架空の怪物に過ぎません。 それと同じように、六道の世界も、夢の中にだけ存在する世界ですから、目覚めれば、いつでも消えてなくなるのです。 つまり、三途の川を渡るとは、迷いの夢から目を覚まし、「地獄、餓鬼、畜生」の世界を作らない本来の自分に戻る事なのです。 心で作る迷いの世界御法歌『頼め彼岸へ法のふね』の中に、 この此岸から三途の川を渡って彼岸へ行く事を、「解脱する」「成仏する」「往生する」「到彼岸」等と言いますが、要するに、一切の分別心と執着心から自由になり、「涅槃寂静」の境地に到達する事です。 地獄とは、怒りの心で作る世界です。怒りの心を起こすと、地獄の世界に堕ちなければなりません。 餓鬼とは、貪りの心で作る世界です。貪りの心を起こすと、餓鬼の世界に堕ちなければなりません。 餓鬼にも二種類あり、無いから欲しい貪りの心を「無財餓鬼」と言い、有り余るほど財が有るのに人に施すのが惜しいという物惜しみの強い心を「有財餓鬼」と言います。 畜生とは、自我我執の心で作る世界です。自我我執とは、他人が苦しもうが傷つこうが、自分さえ幸せになれればそれでいいという利己主義の心で、この心を起こすと、畜生の世界に堕ちなければなりません。 修羅とは、愚痴嫉妬の心で作る世界です。妬みの心を起こすと、修羅の世界に堕ちなければなりません。 人間界は、苦もあれば楽もある世界、天上界は、苦しみを知らない楽ばかりの世界です。 貪欲(貪り)、瞋恚(怒り)、愚痴嫉妬の三つは、三毒煩悩と言って、身も心も滅ぼす恐ろしい猛毒に譬えられますが、心がこの三毒煩悩に侵されると、三途の世界へ真っ逆さまに堕ちてゆかなければなりません。 だからこそ、三毒煩悩の毒牙にかからないよう、日々、菩提心を養い、供養し合い、仏性を覚醒しておかなければいけないのですが、その心を教えているのが、まさに春と秋のお彼岸なのです。 合掌
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彼岸花 |
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