負けないで

作詞・作曲 大西良空

果てしない 茜空のかなたへと
こころは 自由に翔けてゆけるから
負けないで あきらめないで
あなたを 信じつづけて

風車 持って走ったね
こころは いまでも感じているから
やめないで 立ち止まらないで
あなたを 感じつづけて

かけがえの ない人生を
こころは いつでも見つめているから
泣かないで ふりむかないで
あなたを 見つめつづけて

かくれんぼ して遊んだね
こころは いまでも覚えているから
責めないで 傷つけないで
あなたを 愛しつづけて

かなしみに そっと手を添えて
こころは かならず超えてゆけるから
負けないで あきらめないで 
あなたを 信じつづけて
負けないで あきらめないで
あなたを 信じつづけて

負けないで

どんな事にも、必ず意味があると、私は思います。例えば、桜の花びらがハラハラと散っていく時、桜の花びらは、私達に何かを語りかけているかも知れませんし、大切な事を伝えようとしているかも知れません。「あなたも、やがて散っていく身なのですよ。遅いか早いかの違いだけで、あなたも私と一緒なのですよ」と言っているかも知れませんし、「あなたは、私より長生き出来るのだから、一度や二度の失敗にくじけてちゃ駄目ですよ」と、励ましてくれているかも知れません。「いつも眺めてくれて有難う。また来年も会いましょうね」と言って、再会を約束していったかも知れません。

感じ方、受け止め方一つで、桜の花びらの様々な呼びかけが聞こえ、今まで見えなかった世界があなたの眼の前に広がり、人生を豊かにしてくれるのです。しかし、散っていく様を、ただ漠然と眺めているだけでは、何も聞こえませんし、真理の大海原も見えてきません。しかし、桜の花びらが散る事にも、私達が、散ってゆく桜の花びらを見る事にも、きっと意味がある筈です。

イギリスの物理学者、アイザック・ニュートンは、木からリンゴが落下するのを見て、万有引力を発見し、それが後の物理学に大きな影響を与えましたが、ニュートンは、木からリンゴが落下する有様を、その時初めて見た訳ではありません。それまで何度も見ていた筈です。しかし、万有引力を発見出来なかったのは、ただ漠然と眺めていただけで、リンゴが語りかける声を聞いていなかったからです。発見した時は、ニュートンの耳に、確かにリンゴの呼びかける声が聞こえたのです。だから、世紀の大発見につながったのです。

桜の花が散るのも、リンゴが木から落下するのも、私達にとっては何の不都合もない自然現象に過ぎません。しかし、長い人生においては、時として不都合な出来事が降りかかる時があり、その不都合な出来事に出会った時、ただ漠然と眺めているだけでは、語りかける声を聞く事は出来ません。

「人間は自然のうちで、最も弱い一本の葦にすぎない。しかし、それは考える葦である」と言ったのは、フランスの哲学者パスカルですが、弱い一本の葦に過ぎない私達ですから、時には倒れそうになったり、くじけそうになったり、絶望したりする事もあります。挫折したり、絶望したりする人生より、とんとん拍子に行く人生の方が幸せなのでしょうか。私は、そうは思いません。何故なら、私達が受ける苦しみが大きければ大きいほど、悲しみが深ければ深いほど、私達は今よりもっと強く、もっと優しく、もっと光り輝く人間になれるからです。