それが勇気

作詞・作曲 大西良空

空を翔け 海を翔け 山を翔け 疾風のように
いのちの炎を 燃やすのさ 夢を追いかけ
そうさ 悲しみも
そうさ 苦しみも
そうさ 憎しみも 消えてゆくから
忍ぶのさ 耐えるのさ 許すのさ それが勇気
道ばたに咲く花さえも じっと耐えている

雲となり 雨となり 川となり めぐりめぐって
いのちの絆を つなぐのさ 明日を信じて
そうさ なぐさめも
そうさ いたわりも
そうさ ぬくもりも 心(むね)にいだいて
忍ぶのさ 耐えるのさ 許すのさ それが勇気
大空を翔ける鳥たちも みんな生きている

そうさ 悲しみも
そうさ 苦しみも
そうさ 憎しみも 消えてゆくから
忍ぶのさ 耐えるのさ 許すのさ それが勇気
道はけわしく遠くても きっと行けるから

忍者ごっこに参加して

平成21年10月25日(日)、山梨県北杜市白州町にある「白州・尾白の森名水公園べるが」において、北杜市の青少年育成北杜市民会議主催の「忍者ごっこ」というイベントがあり、私も子供会の役員をしている関係で、スタッフの一員としてお手伝いさせて頂く事になりました。
初めての参加で内容もよく分からぬまま、多分子供達が怪我をしないよう見守っていればいいのだろうという軽い気持ちでお引き受けしたのですが、いざ参加してみると、大人も子供たちと同じように忍者となり、森の中を駆けまわったり、物陰に身を隠したり、チャンバラをしたりしながら、自然の中で子供達と一緒に遊ぶのが、イベントの目的でした。

東京都のNPO法人・劇団「アフタフ・バーバン」から来られた専門スタッフの皆さんの説明を聞きながら、風呂敷で作った覆面姿に身を包み、市内から応募した百人余りの子供達と一緒にかくれんぼをしたり、黒マント団に見つからないよう注意しながら、森の中に隠されている巻物をさがしたり、眼をつぶって音を聞き分けたり、岩や丸太やお地蔵さんに変身したりしたのですが、圧巻だったのは、子供と大人に分れて対戦するチャンバラでした。
怪我をしないよう、新聞紙を束にして巻いたものを刀に見立て、ひざから上を切ってはいけないというルールの下、午前の部と午後の部の二つのグループに分かれ、それぞれ50名ほどの子供達と、27名の大人達の間で、チャンバラが始まったのです。
小学生が相手なので少しは手加減をしてやらないと、とても勝負にはならないだろうと高をくくっていたのは始まるまでで、いざ対戦が始まると、圧倒的に子供達の方が強く、予想に反し大人の方が全く勝負になりませんでした。
次第に大人達の眼差しも真剣になり、一矢報いんと、色々な作戦を立てて子供達に向っていったのですが、結局、午前の部、午後の部とも、大人側の完敗に終わってしまいました。バンザイを連呼して喜ぶ、元気そのものの子供達と、ハーハーという荒い息づかいをして座り込んでいる大人たちの姿がとても対照的でしたが、終わってみると、快い疲労感と共に、とても清々しい気持ちに充たされていました。
一日中、子供達と忍者ごっこをして遊んでいる内に、私の心の中で、いつしか消えていた遊び心が、数十年ぶりによみがえってくると共に、改めて遊びの大切さを再認識させらました。

遊びのすすめ

今まで私は、遊びは子供のする事であり、「遊び=子供」というイメージを抱き続けてきました。この「遊びは不真面目なものであり、時間の浪費であり、無駄であり、遊びからは何も得られない」という固定観念は、大部分の方が持っておられる考え方ではないでしょうか。だからこそ、子を持つ親はみな、「遊んでばかりいないで、早く勉強しなさい」と言って、わが子の尻を叩くのですが、私もそんな親の一人だったのです。
ですから、子供達と一緒に忍者ごっこをすると知った時、真っ先にこみ上げてきたのは、「なぜ大人が一緒になって忍者ごっこをしなければいけないのか」という思いでした。

ところが、子供達と一緒に走り回ったり、かくれんぼをしたり、鵜の目鷹の目で巻物を探し回ったり、チャンバラをしている内に、そんな思いは跡形もなく消え去り、私は、無我夢中になって子供達と忍者ごっこに興じていたのです。
今まで自分自身を縛っていた「遊び=子供」という固定観念が、忍者ごっこによって解き放たれた事は言うまでもなく、久しく遊びというものから遠ざかっていた私は、いつの間にか、何もかも忘れて忍者ごっこに熱中する大人に大変身していたのです。

考えてみれば、私達は子供から大人に成長するにしたがって、遊び心を失くし、遊びとは全く無縁の人生を生きるようになっていきますが、それは裏を返せば、様々なしがらみや制約に縛られながら、人間本来の自由を失くしてゆく過程なのではないでしょうか。その束縛の鎖を解き放ってくれるものが遊びだとすれば、遊び心は、大人になればなるほど必要不可欠なものと言えましょう。遊びは決して子供だけがするものではなく、様々なしがらみや制約に縛られている私達大人にこそ必要なものであり、「遊び=大人」でなければならない事を再認識したのです。
遊びは、私達の人生において無くてはならない命の糧であり、その中には、生きていく上において欠かせない命のエッセンスが、いっぱい詰まっているのではないかと気付いたのです。

忍者に見えなかった私

忍者ごっこをしていて印象的だった事が、一つあります。それは、一人の男の子が私に言った言葉でした。風呂敷で作った覆面で顔をかくし、すっかり忍者気取りでいた私に、男の子が、「おじさん、忍者に見えないよ」と言ったのです。
私は、不思議に思い、「どうして?」と聞くと、「だって、おじさん、メガネかけてるもん」という、予想もしなかった答えが返ってきました。
確かに、忍者はメガネなどしていませんし、眼の悪い忍者などいる訳がありません。覆面さえ着けていれば忍者に見えるだろうと高をくくっていた私は、思わず笑ってしまいました。いくら覆面で顔を隠していても、メガネをかけている忍者はいないのですから、男の子が言った事は全く正しかったのですが、何故私はその事に気付かなかったのでしょうか。

メガネをかけなければ見えない私にとって、メガネを外す事など考えもしなかった事も一因でしょうが、それと同時に、私の意識の中に、忍者ごっこは、あくまで遊びであり、覆面さえ着けていれば忍者なんだという思い込みがあったからではないでしょうか。
しかし、それは大人の都合、大人の発想であって、子供達にとって忍者ごっことは、忍者の振りをしてする遊びではなく、忍者になってする遊びなのです。大人は、覆面さえすれば忍者とみなしてもいいのではないかと考えますが、子供達は、忍者になり切らなければ、忍者ごっこは成立しないという発想なのだと思います。
忍者ごっこは、その中にリアリティがあって初めて成り立つものであり、メガネをかけている忍者などいない以上、メガネをかけている事は忍者としてのリアリティに欠け、忍者ごっこにはならないのです。リアリティを求める心は、遊びに対する真剣さの裏返しでしょうが、その意味で言えば、私は遊びに対して不真面目であり、遊びを馬鹿にしていたのであり、真剣さが足りなかったのです。自分では忍者ごっこに参加したつもりでいましたが、子供達の視点に立てば、ただ忍者ごっこをしている振りをしていただけなのかも知れません。
「おじさん、忍者に見えないよ」という言葉は、「おじさん、遊びをバカにしないで、もっと真剣にやってよね。メガネをかけてちゃ忍者ごっこにならないんだからね」と言う男の子のメッセージだったのです。
その点、「アフタフ・バーバン」のスタッフの皆さんは、6名全員が、頭から足まで全身を忍者姿に身を包み、忍者になり切っていました。スタッフを見る子供達の眼が輝いていたのは、スタッフ全員が忍者の振りではなく、忍者そのものになり切っていたからです。

遊びに対する真剣さは、巻物探しにもよく現れていました。森の中に隠された巻物を、黒マント団の忍者に見つからないよう探すのですが、黒マント団が近づいて来ると、見つからないように、変身の術を使って、お地蔵様や丸太や岩など、様々なものに姿を変えなければなりません。
遊びだという意識がある私達大人は、変身するにしても、変身した振りをしているに過ぎませんが、子供たちは真剣です。黒マント団に見つかっては大変だとばかり、真剣に変身しているのです。
私の側にいた小さな女の子は、落ち葉の上に正座して一心に合掌していましたが、恐らくこの子はお地蔵様に変身していたのでしょう。黒マント団が通り過ぎるまで、小さな体をピクリともさせず一心に合掌している姿は真剣で、まさに地蔵菩薩そのものでした。
この女の子は、お地蔵様の振りをしていたのではなく、身も心もお地蔵様に成り切っていたのです。悲しいかな、大人は、ここまで真剣にはなれません。

大人には真似の出来ない、遊びに対する子供達の純真な姿を見ていて、何故、良寛さんが、子供たちと手鞠を突いたり、おはじきをしたり、かくれんぼをして遊ぶのを好んだのか、その気持ちが、少し分ったような気がしました。
遊びの中にリアリティを求める子供達の真剣さは、遊びの楽しさを、きっと10倍にも20倍にも増幅させているに違いありません。
「楽しかった」「おもしろかった」「またやりたいなあ」と話しながら、興奮した口ぶりで帰っていく子供達の姿が、それを如実に物語っていました。
そして何より、「楽しかった」というこの一言に、遊びが私達に与えてくれる恩恵の全てが言い尽くされているような気がするのです。

社会や生活を支える数々の遊び

遊びと言っても、忍者ごっこや鬼ごっこやかくれんぼなど、私達に楽しさや面白さを味わわせてくれるものだけが、遊びではありません。私達の周囲を見渡してみると、遊びは、世の中を支える歯車の一つとして、大切な役割を担っている事が分ります。
例えば、自動車のハンドルを回した時、すぐに効いては危ないので、少し余裕を持たせる意味で、遊びが設けられています。電車や自動車に使われているバネ(スプリング)も、振動を和らげる役目をする遊びの一つと言えましょう。
私達が着る衣服も、遊びがなければ、窮屈で着れませんし、履物も遊びがあるから、痛い思いをせずに履きつづけられるのです。
また信号機には、赤、青、黄の三色が使われていますが、「止まれ」の赤と「進め」の青の二色の間に、「注意せよ」の黄色が入れられている事で、交通事故を未然に防いでいます。もし赤と青の二色だけで、緩衝帯の役目をする黄色がなければ、交通事故は今よりもっと増えていたでしょう。この黄色が果たしている役割が、まさしく信号機に設けられた遊びなのです。
高速道路には、所々にサービスエリアやパーキングエリアが設けられていますが、もしこれらの施設がなければ、ドライバーは、息を抜く暇もなく、目的地まで走り続けなければなりません。ドライバーを運転から解放してくれるサービスエリアやパーキングエリアは、まさに高速道路に設けられた遊び空間なのです。
それは、都会の各所に設けられた公園や人工林や様々な文化施設なども同じで、より快適な都市空間を目指して作られた都市内の遊びエリアと言っていいでしょう。
更に広く見れば、私達を取り巻く大自然そのものが、地球に設けられた遊び空間そのものと言えるのではないでしょうか。

自然界にも、色々な遊びがあります。例えば、竹や柳は、風が吹くと、しなるようになっており、このしなりという遊びが、強風から竹や柳を守っているのです。一見倒れそうには見えない大木が、強風で折れたり倒れたりするのは、しなりという遊びを持たないからであり、これを見ても、遊びが重要な役割を果たしている事が分かります。
この遊びが、超高層ビルの耐震設計にも応用されている事は周知の事実で、地震が来た時には、ビル全体が左右にしなり、地震の揺れを逃がすような仕組みになっています。

しかし、この遊びを取り入れた元祖と言えば、やはり寺院建築の粋と言われる五重塔や三重塔を挙げなければなりません。
塔の中心には、心柱と言われる太い丸太が立ち、その心柱を何本もの梁や棟木が支え合いながら、大地震が来ても倒壊しないよう、随所に遊びが設けられて、塔全体がしなるようになっているのです。塔は、まさに遊びによって支えられている遊びの集合体そのものと言っていいでしょう。

遊びから生まれる新たないのち

高野山金剛峰寺・多聞天像(快慶作)

こうして遊びは、その姿を隠しながら、縁の下の力持ちとなって私達の社会や生活を支えてくれているのですが、遊びが果たす役割の大きさを最も典型的に現わしているのは、やはり仏像ではないでしょうか。
仏像には坐像と立像があり、立像の場合、両足をそろえて立っておられるお姿が一般的ですが、その中に、右足を少し前に出して立っておられる仏様がおられます。高野山(たかのやま)法徳寺の御本尊である身代り升地蔵菩薩様も、右足を前に出して立っておられる立像ですが、昔からこの右足は、「仏師の遊び」と言われています。
「仏師の遊び」と言っても、ただ仏師さんが遊び心で彫っておられるのではなく、右足を前に出す事によって仏像に動きが生まれ、これから苦しむ人々を救いに行こうとしている仏様の心が、この右足を通して見えてくるように彫られているのです。つまり、仏像にいのちを吹き込むという大切な役目を担っているのが、「仏師の遊び」であり、「仏像の遊び」なのです。
遊びの効用は、東大寺戒壇院の四天王像や高野山の四天王像などを見れば、よく分かります。
左手に巻物、右手に筆を握っている広目天、左手を腰にあて、右手に槍を握って憤怒の表情を見せる増長天、右手に剣を持つ持国天、右手で宝塔を高くかかげる多聞天(毘沙門天)を見ると、いずれも足の下に天邪鬼を踏みつけながら腰をひねり、まるで生きている仏様を見るかのような錯覚をおぼえますが、これは、仏像の隅々にまでほどこされている遊びが仏像にいのちを吹き込んでいるからで、まさに仏師による遊びの極致がここにあると言えましょう。

しかし、遊びがその真価を遺憾なく発揮するのは、やはり仏像にではなく、私達生きとし生けるものに、新たないのちを吹き込んでくれる時ではないでしょうか。
オランダの歴史学者ヨハン・ホイジンガは、「文化は遊びから生まれる」と言っていますが、芸術、芸能、茶道、華道、武道、スポーツなどあらゆる文化活動の中に、遊びによっていのちを吹き込まれた人々の情熱の跡を見る事が出来ます。
ホイジンガが言うように、あらゆる文化が遊びから生まれ、遊びの延長線上に位置するものであるなら、それらの文化を生み出した遊びの持つ力(遊び力)は一体どこから来ているのでしょうか。
その遊び力を端的に現わしているのが、忍者ごっこをした後に、子供達が口をそろえて言った「楽しかった」という一言であり、この言葉に、遊び力の全てが集約されているように思います。
人は楽しいから遊ぶのであり、遊ぶことによって楽しみを享受したいのです。一切の束縛や制約から解放され、自由に生きたいのです。
遊びの持つ魅力は、まさにそこにあり、それ以上でも、それ以下でもありません。その楽しいという思いから様々な情熱や思索が生まれ、様々な文化や芸術や活動を育んできたとも言えましょう。
ホイジンガは、遊び文化の中に宗教も含まれると言っていますが、宗教も遊びも、真面目さ、真剣さが求められるという点で軌を一にしています。
遊びに真面目さ、真剣さが必要である事は、「おじさん、忍者に見えないよ」と言った男の子の言葉や、お地蔵さんに成り切っていた女の子の真剣な姿を見れば明らかですが、この事実からも、遊びは、ただの気休めでも道楽でもなく、子供達にとって神聖で厳粛なものであり、それは立派な宗教的行為である事が分かります。
否、遊びは、子供達にとってだけではなく、私達大人にとっても、心の束縛を解き放ってくれる神聖で厳粛な宗教的行為なのではないでしょうか。

遊びは心の扉を内側から開く無二の親友

遊びが、生きとし生けるものに、いのちを吹き込む大きな力を持っているとすれば、年間2万人を超えると言われるわが国の自殺者の救いにも、大きな力となりうる可能性を秘めているに違いありません。
自殺者の多くが、抑うつ状態にあると言われていますが、自らの殻に閉じこもった人々の心を開けるのは容易ではありません。
しかし、鶏の雛が、卵の内側から殻を破って生まれてくるように、もし閉ざされた心を内側から開けられるようになれば、救いの道は大きく開かれるでしょう。
その意味で、消えかかったいのちの炎を、赤々と燃焼させるには、外からではなく、内側からいのちを輝かせる何かが必要ではないかと思いますが、それを為し得るものの一つが、遊びである事は間違いありません。

但し、ホイジンガが言うように、遊びからは、何ももたらされません。
彼の言葉を借りれば、「遊びは遊ぶ人を完全にとりこにするが、だからと言って、何か物質的利益と結びつくわけでは全くなく、また他面、何らかの効用が盛り込まれているのでもない」のです。
つまり、忍者ごっこをして遊んだからと言って、そこから何らかの物質的利益が得られる訳ではなく、ただ遊んで楽しかったという思いが残るだけで、終われば、遊ぶ前の状態に戻るだけです。
これが、世間から、遊びは不真面目であり、無駄であり、時間の浪費であり、非生産的であると、白い目を向けられる所以で、世の親たちが、遊ぶ子供の尻を叩く一因でもありますが、それによって遊びの楽しさが半減するかと言えば、遊びの面白さは全く変わりません。
私達は成長するに従って、仕事の面でも生活の面でも、結果と利益がすべてを左右する環境の中に否応なく放り込まれ、様々なストレスを感じながら生きていかなければなりません。そのような環境下では、結果や利益が期待出来ない遊びは、まったく相手にされません。
しかし、だからこそ、いかなる結果や利益を気にしなくてもよい、一切の社会的束縛から自由にしてくれる遊びは、心を許せる無二の親友となるのです。
「楽しかった」「おもしろかった」「またやりたいなあ」と話しながら、興奮した口ぶりで帰っていく子供達の歓喜の声が、それを証明してくれています。
そして、その親友は、私たちが心の扉を内側から開けようとする時、必ず大きな力を貸してくれるに違いありません。