仏教は偶像崇拝か?(1)
タリバンによるバーミヤン石仏破壊
25年前の2001年3月12日、アフガニスタンのイスラム原理主義組織「タリバン」によって、バーミヤンの巨大石仏二体(西大仏・高さ55メートル、東大仏・高さ38メートル)が爆破されましたが、アフガニスタンの歴史を遡ると、戦争に次ぐ戦争の悲惨な歴史と言っていいでしょう。
1978年、軍事クーデター(四月革命)によって社会主義政権が誕生すると、政権打倒を叫んでイスラム義勇兵(ムジャヒディーン)が立ち上がり、それを排除するため、1979年、旧ソ連軍がアフガニスタンに侵攻します。
しかし、イスラム義勇兵を排除する事が出来ず、10年後の1989年にソ連軍は撤退、その後、アフガニスタンの支配権を巡って内戦が激化し、1998年以降、タリバンが全土の9割を掌握しますが、タリバン支配地域に対する制裁決議が国連で採択され、タリバンに対する締め付けが強化されました。
そんな中で起きたのが、タリバンによる石仏二体の爆破ですが、アフガニスタンが世界に誇る文化的遺産であるバーミヤン渓谷の石窟仏教寺院遺跡には、爆破された巨大石仏二体をはじめ多くの仏像が彫られ、1000を超える石窟内には鮮やかな仏教壁画が描かれていました。
旧ソ連軍の侵攻以来続いてきたアフガニスタン紛争とタリバンの強権支配によって、大仏をはじめとして、石窟壁画の8割が失われたと言われていますが、偶像崇拝を否定するイスラム教の影響、イスラム過激派テロ組織「アルカイダ」の指導者、ウサマ・ビンラディンとの接触、更には慢性的旱魃による食糧難で多くの餓死者が出ているにも拘らず、国際社会が無関心であった事など、様々な要因が背景にあった事が指摘されています。
バーミヤンの石仏が爆破された当時の産経新聞のコラム「産経抄」には、次のような文章が掲載されていました。

アメリカCNNテレビが爆破の瞬間を映しだし、「バーミヤン石仏は破壊された」と国連教育科学文化機関(ユネスコ)が発表した。タリバンの信仰が、文化に対する犯罪であり、野蛮であることを証明したようなものだろう ▼「歩くことが原作か。描くことが翻訳か。両方とも削ることの方がつらかった」。平山郁夫画伯は新著『薬師寺への道』(集英社)の中で、バーミヤンの石仏に相対した時の感動を、そんななぞめいた言葉で書いている ▼平山さんは昨年十二月三十一日、入魂開眼法要の最後の筆入れをして薬師寺玄奘三蔵院画殿の「大唐西域壁画」を完成させた。玄奘の足跡をたどり、二十年の歳月をかけて描きつづけた大壁画の一つが、アフガニスタンのバーミヤン石窟である ▼遠くシルクロードの山々が連なり、その前に草一本ない褐色の高原が広がっている。手前にはオアシスの緑がわずかに残り、あとは不毛の台地があるのみだ。しかし台地の山壁の左右には、深くうがたれた石仏がおわします。午後の太陽の傾くバーミヤンはそんなふうに描かれていた ▼その平山さんの大作にうながされて、前に買っておいた玄奘の『大唐西域記』(水谷眞成訳、平凡社版)を慌てて読んでみた。中国・唐代の僧玄奘は、天竺の仏法を求め国禁を犯して長安を旅立つ。数々の苦難に遭遇しつつ西暦六二九年この地に立ち寄った ▼「バーミヤン国は東西二千余里、南北三百余里で、雪山の中にある。王城の東北の山の阿(くま)に立仏の石像の高さ百四、五十尺のもの(五十五㍍仏)がある。金色にかがやき、宝飾がきらきらしている」。玄奘は壮麗なバーミヤンの石窟をそう描写しているのだった。
629年、唐の玄奘三蔵がこの地を訪れた時は、美しく装飾された大仏が金色に輝き、数千人の僧侶が寺院に居住し、バーミヤン渓谷は、まさに一大仏教都市を形成していました。
その後、偶像崇拝を否定するイスラム教徒がこの地に侵攻したため、次第に往時の面影は失われていきましたが、タリバンが同国を支配するまでは、まだ多くの仏教壁画が残されていました。
国際社会から非難を浴びながらも、タリバンは、それらを徹底的に破壊し、アフガニスタンの貴重な文化遺産を永久に葬り去りましたが、彼らが爆破したのは、実は石仏ではなかったのです。
恐らく彼らはまだ気づいていないでしょうが、彼らが爆破したのは、彼ら自身の尊厳であり、バーミヤン石仏を偶像としか見られない彼らの殺伐とした心が、自らの尊厳を爆破し葬り去ったのです。
偶像崇拝と非難して破壊はしてみたものの、結局自らの行動によって、自らの首を絞める結果を招いただけであった事は、その後の顛末を見れば明らかで、自業自得という他はありません。
仏教は偶像崇拝か?
偶像崇拝とは、お釈迦様や阿弥陀様やお地蔵様などの仏像を作り、その仏像に何らかのご利益があると信じて拝むことですが、果たして仏教はイスラム教徒が否定する偶像崇拝なのでしょうか?
釈尊は弟子たちに、「われの死は肉身である。肉身は父母より生まれ、食によって保たれるものであるから、患い、傷つき、こわれてゆくものである。それゆえに、われの肉身を見るのでなく、われの法(おしえ)を知る者こそ、真のわれを見るのである」と説かれました。また「私が信じられなければ信じなくてもよい。しかし、私が説く法を信じなさい」とも説いておられます。
これらの言葉から、釈尊は法のみを信仰の対象としておられた事が分ります。
また、釈尊の教えの中に、「自灯明、法灯明」という教えがありますが、これは、文字通り「自らを依りどころとして他を依りどころとせず。法を依りどころとして他を依りどころとせず」という意味で、やはり法(真理)のみを信仰の依りどころとせよという釈尊の戒めです。
もし釈尊が、「信仰の依りどころは法(真理)であり、私の肉体ではない」と考えておられたとすれば、釈尊が説いた法(教え)を信じ、拝み、実践する事のみが、釈尊を拝む事であって、釈尊の姿を象った仏像を拝む事は偶像崇拝となり、釈尊の教えに反しているのではないかという疑問が出てきます。
一神教徒のみならず、仏教徒の中にも、釈尊は偶像崇拝を否定していたと主張する人がいるのはその為です。
確かに、釈尊の肉身をそのまま象って拝むのであれば、偶像崇拝になるかも知れませんが、、仏像は釈尊の肉身をそのまま象ったものではなく、釈尊が説いた法を象徴化したものですから、仏像を拝む事は決して偶像崇拝にはならないと私は考えています。
仏像礼拝は釈尊の教えに反しているのか?
そもそも仏像が作られるようになったのは、釈尊入滅から500年余り後の紀元1世紀頃で、それ以前は、仏舎利(釈尊の遺骨)、ストゥーパ(釈尊の遺骨を祀った仏塔)、法輪(仏の教えが輪の如く広まる様子を表した法具)、仏足石(仏の足跡を刻んだ石)、菩提樹(釈尊が悟りを開かれた樹)など、釈尊を連想させる様々なシンボルを通して、釈尊を礼拝していました。
しかし、西北インドのガンダーラ地方や、北インドのマトゥーラ地方に仏教が伝えられてからは、ヘレニズム(ギリシャ文明)の影響を受けた仏像が次々と作られ、それらが、様々な変化を遂げながら、中央アジアを経て東アジアへ伝えられていきました。
こうして、釈尊在世中は、釈尊が説かれた法だけが信仰の依りどころであったものが、釈尊入滅後は、釈尊を慕う人々によって、仏塔や法輪、仏足跡など様々なシンボルを通して礼拝されるようになり、やがて釈尊の姿を象った仏像まで作られて、礼拝の対象となっていったのです。
このように、様々な文明の影響を受けながら、生まれるべくして生まれてきた仏像ですが、果たして仏像を拝む事は、イスラム教徒がいうような偶像崇拝であり、「自灯明、法灯明」と説かれた釈尊の教えに反しているのでしょうか?
皆さんの中には、仏像を礼拝する事は、この教えと矛盾するのではないかという疑問をもたれる方もいると思いますが、確かに外見だけを見れば、仏像を拝む事は、イスラム教徒がいうように、偶像を拝んでいるように見えなくもありません。
しかし、後でお話しますが、仏像とは、法(真理)の鏡に映った仏の自分を象ったものであり、仏像を拝むとは、自分が自分を拝む事ですから、仏の自己を依りどころとせよと説かれた「自灯明」の教えと何ら矛盾するものではありません。
また、仏の自己は、法(真理)の鏡に映して初めて見ることが出来る自己本来の姿であり、法こそが仏の自己を照らし出す鏡ですから、法を依りどころとせよという「法灯明」の教えとも矛盾しません。
お釈迦様が説かれた「われの肉身を見るのでなく、われの法(おしえ)を知る者こそ、真のわれを見るのである」という言葉からすれば、仏像を礼拝する事は、釈尊の言葉と矛盾しているように見えますが、何度も言うように、仏像は、釈尊の肉身を象ったものではなく、法(真理)の鏡に映った釈尊本来のお姿を象ったものであり、そのお姿こそが、釈尊のいのちであり、仏像を通して伝えようとしている本質なのです。
しかし、その違いが中々一般の人々には分かりにくい為、釈尊の肉身と釈尊本来のお姿(法身)を区別するために考え出されたのが、”三十二相八十種好”と言われる福相です。
例えば、どんな悩み苦しみも聞き漏らさないよう長く大きな耳を持ち、頭の頂きが盛り上がり(肉髻相・にくけいそう)、身体全体が金色に光り輝き、後光を放ち、すべてを見抜き見通す慈悲の眼を持ち、眉間には光を放つ右巻きの白毛(白毫相)があるなど、一般の人間にはない特徴が具わっているとされていますが、肉身としての釈尊が、このような身体的特徴を具えていた訳ではなく、あくまで、法(真理)と一体になられた釈尊本来のお姿を象徴的に現すために考え出されたものです。
つまり、「われの肉身を見るのでなく、われの法(おしえ)を知る者こそ、真のわれを見るのである」という釈尊の言葉に決して反しない事を示すために考え出されたのが、”三十二相八十種好”という身体的特徴なのです。
ですから、これら”三十二相八十種好”の福相を取り入れて作られた釈迦像は、釈尊の肉身そのものを象ったものではなく、真理(法)と一体になった釈尊本来の姿を象徴化したものであり、仏像を拝むとは、釈尊の肉身を拝む事ではなく、み仏となられた釈尊本来のいのちである法(真理)を拝む事に他なりませんから、何ら教えに反する事にはならないし、偶像崇拝では決してないのです。
何を拝んでいるのか
ここで皆さんに知っておいて頂きたいのは、仏教でいう仏を拝む事と、イスラム教でいう唯一神を拝む事は、全く意味が異なるという事です。
イスラム教徒が拝む唯一神は、宇宙の創造主です。従って、自らが創造主になるという発想は、彼らにはありませんし、ないのが当然です。そんな事をすれば、神を冒涜するも甚だしい事になります。ですから、唯一神とイスラム教徒の間には、越えがたい壁があり、完全に断絶しています。
それに対し、仏教徒が礼拝する仏は、宇宙の創造主ではありません。仏に成るとは、私たち人間の奥底に眠るもう一人の自分(仏の自分)を覚醒させ、迷いの夢から目覚める事です。
弘法大師様(お大師様)が、『声字実相義』の中で、「生きとし生けるものみな等しく仏性を具え、仏と平等である」(衆生にまた本覚法身あり。仏と平等なり)と説いておられるように、私達人間は、みな本来仏であり、仏と成るべき本性を具えているのです。
にも拘らず、毎日、泣いたり、笑ったり、怒ったり、妬んだり、人の悪口を言ったり、騙したりして、その本性を覚醒出来ぬまま生きているのが、いまの姿です。
今まで自分だと思っていた私は偽りの私で、その私の他に、泣きも笑いも怒りも妬みも悪口も騙しもしない仏であるもう一人の私がいるのです。
この仏の私に直面しなければ、いくらお金があっても、いくら立派な家屋敷に住んでいても、いくら地位や名誉が得られても、この世に生まれてきた意味も値打ちもありません。
お金や物や地位や名誉は、いつ崩れるか分からない砂上の楼閣に過ぎませんが、仏の自分は永遠に滅びません。だからこそ、一刻も早く仏の自分と出会わなければいけないのですが、ではどうすれば仏の自分に出会えるのでしょうか?次回はその事についてお話ししたいと思います。

