幸せさがし─青い鳥の行方(4)

因縁に対する目覚め

京仏師の松久朋琳師は、「全てを受け入れる事によって、み仏はその心を開いて下さる」と仰っておられますが、すべてを在るがまま受け入れるという事は、すべての不都合な現実、すべての不都合な結果、すべての不都合な因縁を在るがまま受け入れるという事です。
大石順教尼も、中村久子さんも、無手無足のわが身を顧みて、何故自分はこんな目に遇わなければいけないのかと思い悩み、幾度となく眠れぬ夜を過ごされたに違いありません。
しかし、やがて、「自分は両腕を斬りおとされなければならない因縁を作ってきたのだ。だから、私はいまこんな姿をしているのだ。怨むべきは、人でも社会でもみ仏でもなく、自分自身なのだ。私はいま、過去に作ってきた因縁を、この身に問われているのだ。だから、この因縁を在るがまま受け入れ、拝んでいこう」という悟りの境地に到達されたのです。
ある時、順教尼は、「両手を斬り落されて、口も耳まで斬りさかれる。血は流れ出る。誰も来てくれないまま五時間も経つ。それで生き残られたということは、まったく不思議としか思えません。どうして助けられたのでしょうか」との問いに対し、次のように答えています。(『無手の法悦』より)

私は世の中に不思議ということはないと思います。
当然のことが当然に現われて来る、現われてきたものに当然でないものは一つもない、と私は思っています。
不思議という言葉は、物事をよく見きわめないで、自分を都合よくごまかして、不思議だとうなずいているのでしょうね。
人間が神様のように、何でもわかるのであったら、この世の中の出来事は、全部当然だとしか思えないはずです。
不思議という事は何一つありません。
生も死も、傷つくのも助かるのも、みな当然のあらわれなのです。

「自分が両腕のない不具の身になったのは、運が悪かったからでも、誰かのせいでもなく、自分が作った因縁でそうなるようになっていたからだ。両腕を斬りおとされながら一命をとりとめたのも、両腕のない身で生きなければならなかったのも、そういう因縁があったからだ。両腕を失くさなければ、まだ自分が背負っている因縁の深さを知らないまま、更に罪を重ねながら生きていたかも知れない。両腕を失くしたお陰で、自分が作ってきた業因縁の深さに目覚める事が出来たのだ。それもこれもすべて、両腕を失くしたお陰だ」と、順教尼は、斬りおとされた両腕に感謝し、無手のわが身を拝まれたのです。
中村久子さんも、『こころの手足』の中で、「業がすなわち私自身なのです。業のある間、何十年でも見世物芸人でいいではないか。やめろと仏様がおっしゃるときが来たら、やめさせてもらえばよい。来なかったら業の尽きるまで芸人でいよう。こうした決心がついたら、煮えたぎっていた”るつぼ”が”るつぼ”でなくなりました」とおっしゃっておられますが、これは、無手無足の体で、自らの業の深さを嫌と言うほど味わってきた久子さんだからこそ、言い得た言葉ではないでしょうか。

体の障害と心の障害

大石順教尼は、その徳を慕って集まる障害者にこうも言っています。

順教尼─身体の不自由、これはね、そういう因縁なのだから仕方がないが、私達は心の障害者になってはいけないのだよ。
障害者─心の障害者、そんな障害があるのですか?
順教尼─あんたね、片足が悪いだけでよく転ぶでしょう。どうしてかわかりますか。
障害者─わかりませんが、悲しいです。
順教尼─転ばなくても歩ける方法を教えてあげよう。それはね、悪い足をかくさないことだよ。心の障害というのはそれをいうのだよ。忘れなさいという事は無理かもしれないが、片足が悪いくらいのことに心をうばわれてはいけないのだよ。
障害者─どうしたら、その心の障害を取り除く事が出来るのですか?
順教尼─自分のことは自分で出来るようにする、それだけの小さな生き方でなしに、世の中のために感謝と奉仕の心をもって、心の働きを生かすのだよ。たとえ、何にも出来ずにベッドにふせっていても、微笑みひとつでも、やさしい言葉ひとつでも、周囲の人々に捧げる事が出来たら、その人は社会の一隅を明るくすることが出来るのだよ。私はね、障害というのは、身体の自由、不自由とは別ではないかと思う事さえあるのだよ。たとえ健全な肢体に恵まれていても、それを人のために生かす心を持たず、五欲のほしいままに、お互いが傷つけあうことしか知らないとしたら、大変な心の障害者ではないかと思うのだよ。此の頃、私は、両手を無くしたこと、何も知らない無学なものであったこと、そして、お金にたよらずに貧乏してきた事が、本当に私の眼に見えない大きな財産なのではないかと、しみじみとその幸せを味わっているのだよ。
障害者─先生、もう少しわかりやすく教えて下さい。
順教尼─そうね、生きてゆくための、幸福になるための、条件とか資格とかいうものは、何一つないのだ、とでも言ったらわかるかい。禍も福もほんとうは一つなのだよ。

中村久子さんも、同じような事をおっしゃっておられます。

私自身に最も深く思わせられたことは、障害をむしばむものは障害ではなく、自らの精神によるものであるということです。
こんな手や足で電車や自動車の通るこんなこわい所が歩かれるだろうか、などと不安の念がちょっとでも頭に浮かんだらもうおしまいです。
足も体もすくんでしまって、一歩たりとも前進はできません。
障害が難物というよりは、心の障害が一番の難物なのであります。

私たちは、つい健康と病気、成功と失敗、富裕と貧困というように、幸不幸を相対する別物のように考えますが、実は、ものの見方の違いに過ぎません。
ものの見方を変える事によって、幸福が不幸になったり、不幸が幸福になったりするのです。
何故かと言えば、幸不幸は、決して既成事実でも、固定的なものでもはないからです。
幸不幸は、自分自身が決めるのであって、自分以外の誰かが決めるものでも、決められるものでもないという事です。
中村久子さんは、次のような言葉も残しておられます。

人の命とはつくづく不思議なもの。
確かなことは自分で生きているのではない。
生かされているのだと言うことです。
どんなところにも必ず生かされていく道がある。
すなわち人生に絶望なし。
いかなる人生にも決して絶望はないのだ。

勿論、思い方は人それぞれですから、両手両足を失くした事、不慮の事故によって体の自由を失った事を、不幸と考える人も、世の中にはいるでしょう。
しかし、両手両足を失くしたからこそ、得られたもの、見えてきたものがある事も間違いありません。
そして、そこで得られたもの、見えてきたものこそ、失った両手が与えてくれた本当の幸せであり、両手を失くしていなければ、得る事も見る事もできなかった輝ける人間の在るべき姿なのではないでしょうか。
中村久子さんの次の言葉が、その事を雄弁に物語っています。

良き師、良き友に導かれ、かけがえのない人生を送らせて頂きました。
今思えば、私にとって一番の良き師、良き友は、両手両足のないこの体でした。

青い鳥の答え

むのたけじ氏の詞集『たいまつ』の中に、「扉がどんなに大きくても、鍵穴は小さい。そして、鍵は鍵穴よりも小さい」という言葉がありますが、目指す幸せの扉がいかに巨大であっても、その扉の鍵穴は小さく、そしてその鍵穴に入る鍵は、もっと小さいのです。
勿論、鍵がいくら小さくても、ただ小さいだけでは、幸せの扉は開きません。
その鍵穴にぴったり合った鍵を鍵穴に差し込み、回転させる事によってのみ、扉は開くのです。
仏性という鍵には形がありませんから、どのような形にも姿を変える事が出来ます。丸い鍵穴でも、四角い鍵穴でも、三角の鍵穴でも、どんな形の鍵穴でも、ぴったり入る万能鍵と言えましょう。
しかし、たとえ万能鍵であっても、ただ鍵穴に鍵を入れただけでは、幸せの扉はびくともしません。
扉を開けるためには、鍵を回さなければなりませんが、その鍵をどのように回せばいいのかを教えてくれているのが、いまお話しした菩薩様であり、大石順教尼、中村久子女史、星野富弘氏、向坊弘道氏の方々です。
ここでもう一度、チルチルが最後に言った言葉を思い出して下さい。チルチルは、こう問いかけています。

「どなたかあの鳥を見つけた方はどうぞ僕たちに返して下さい。僕たちが幸福に暮らすために、いつかきっとあの鳥が必要になるでしょうから」

チルチルは、青い鳥を見つけたら返して欲しいと問いかけていますが、こう問いかけたらどうだったでしょうか。

「どなたかあの鳥が飛んでいった理由を知っている方は、どうぞ僕たちに教えて下さい。僕たちが幸福に暮らすために、いつかきっとその理由が必要になるでしょうから」

こう問いかけたら、青い鳥は、きっとこう答えたに違いありません。

「僕は、大切な事を伝えるために、君たちのところへやってきたんだよ。君たちに、それを伝える事ができたけど、まだ伝えなければいけない人が大勢いるんだ。だから、いつまでも君たちの側にはいられないんだ。僕を探さなくてもいい人ばかりの世の中になれば、僕はすぐに君たちのところへ戻ってくるよ。だから、君たちも、僕が伝えた事を、みんなに伝えて欲しいんだ。そうすれば、少しでも早く戻ってこれるからね」

幸せさがし─青い鳥の行方(1)
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