いのちありがとう

作詞・作曲 大西良空

夢破れて この世界が
泣いている様に 見えたけれど
雨上がりの 空を見れば
七色に輝いてる 夢の架け橋が渡されていた
いのち 燃え尽きるまで
なみだ 枯れ果てるまで
走りつづけて 見えてきたのさ
いのちという奇跡に めぐり合えたあの日を
支えてくれたみんな いのちありがとう

遠き過去より 受け継がれて
はるかな未来へ 運ばれてゆく
数知れない 父母が
守り伝えて くれたいのちいま生きています
いのち 燃え尽きるまで
なみだ 枯れ果てるまで
走りつづけて 見えてきたのさ
いのちという奇跡に めぐり合えたあの日を
伝えてくれたみんな いのちありがとう

いのち 燃え尽きるまで
なみだ 枯れ果てるまで
走りつづけて 見えてきたのさ
いのちという奇跡に めぐり合えたあの日を
支えてくれたみんな いのちありがとう

いのちという奇跡に めぐり合えたあの日を
伝えてくれたみんな いのちありがとう
伝えてゆこうみんな いのちありがとう

いのちの相続という奇跡

私達がこの世に生まれてくる為には、二つの奇跡にめぐり合わなければなりませんでした。
一つは、いのちの相続という奇跡です。
私が生まれてくる為には、父母(両親)がいなければなりません。その父母が生まれてくる為には、またそれぞれ二人ずつの父母がいなければなりません。そして、さらにその父母たちにも、またそれぞれの父母がいなければなりません。
一組の男女が一人の子供を産んだと仮定すると、10代遡れば、1024人の父母が、20代遡れば、104万8576人の父母が、30代遡れば、10億7374万1824人の父母がいた事になるそうですが、私という人間が生まれてくる為には、計り知れない無数の父母がいなければならなかった事が分ります。しかも、その中のたった一人でもこの世に生まれていなければ、私もこの世には生まれていなかったのです。
親から子、子から孫へと、何世代にも渡って、いのちの相続という奇跡が、一度も途絶える事なく受け継がれてきたお陰で、私は、いまここに生きていられるのです。
この事実は、私のいのちが、私だけのものではなく、私をこの世へ送り出してくれた無数の父母のいのちでもあり、その無数のいのちが、私のいのちの中に受け継がれている事を教えてくれています。
私は、今のいのちを生きているだけではなく、同時に相続された過去の無数のいのちも生きているのです。
そして、私のいのちは、過去のいのちを背負いながら、後に続く子々孫々へと受け継がれてゆく未来のいのちでもあるのです。
ご先祖という数知れぬ父母がいなければ、私はこの世に生まれてこれなかったように、私がこの世に生まれてこなければ、生まれてくる事の出来ない数知れぬいのちが、はるか未来に待っているのです。
今を生きる私達には、無数の父母から受け継いだいのちの奇跡を、未来の子や孫たちに伝えてゆく大きな責任があるのです。

いのちの淘汰という奇跡

もう一つの奇跡は、いのちの淘汰という奇跡です。
人の男子の精巣では、10才くらいから精子が作られ始め、1日に約5千万~1億個ほどの精子が作られていきます。仮に70歳まで生きるとすれば、一生のうちに作る精子の数は、約1兆から2兆個もの膨大な数になります。
70年の人生の中で、1人の子供を産んだとすれば、受精して生命として誕生する事のできる精子は、1兆~2兆個のうちの、たった一個に過ぎません。
しかも、精子が卵子に到達するまでには、幾多の試練を乗り越えなければなりません。
受験戦争の狭き門など比べ物にならない、厳しいいのちのサバイバルレースを勝ち抜いた、たった1個の精子だけが、晴れて受精できるのです。
つまり、私も皆さんも、その数億個の中から選ばれてこの世に生まれてきた、まさにエリート中のエリートなのです。

精子と同じように、女性の卵巣でも、10才くらいから卵子を作り始め、約1か月に1つずつ卵子を輸卵管に放出します。
女性が一生のうちに排卵できる卵子の数は大体決まっていて、約500個程度だそうですが、実際に受精出来るのは、精子と同様、たった1個の卵子に過ぎません。
一生のうちで、受精できなかった精子の数が1兆9999億9999万9999個、受精できなかった卵子の数が499個もある事を考えると、私の肉体に脈打ついのちは、いのちの淘汰という幾多の試練を勝ち抜いて生まれてきた、まさにかけがえのない光り輝くいのちである事がわかります。

いのちの共生という真理─多くのいのちに支えられて

私達が生まれて来れたのは、「いのちの相続」「いのちの淘汰」という二つの奇跡にめぐり合えたお陰ですが、忘れてはならない事があります。
それは、私が生まれて来れたのは、決して私一人の力ではなく、多くのいのちに支えられお陰だという事です。
いのちを相続してきた無数の父母たちと、厳しいいのちのサバイバルレースを共に闘った無数の精子や卵子たちがいてくれたからこそ、この世に生まれて来れたのです。
生まれて来れなかった1兆9999億9999万99999個の精子と、受精できなかった499個の卵子たちは、私にとって、ただの競争相手ではなく、誕生までの厳しい試練に立ち向かってきた仲間であり、私がこの世へ生まれてくる手助けをしてくれた協力者なのです。
私がこの世に生まれてこられたのは、誕生と言う厳しい試練に、共に立ち向かった無数の協力者がいたからであり、私のいのちは、無数の父母や、無数の精子と卵子たちに支えられて、はじめて与えられたいのちなのです。
私一人の力では生まれて来れなかったという事実は、この世に生まれてから後も、変わらない事実として存続し続けます。私達は、生まれてくる時だけではなく、生まれてから後も、多くの人々の支えや助けがなければ、生きていけないのです。
私達は、いのちの共生という真理の中で、お互いを生かし合い、生かされ合っている生命共同体と言えましょう。

この世は、お互いが支え合い、助け合い、生かし合い、生かされ合って、初めて成り立っている世の中であり、それが、この世界の仕組みなのです。
私もまた、誰かの助けを必要としている人間であり、だからこそ、いかなる時も誰かの役に立つ生き方をしなければならないのです。
それが、いのちの共生という真理に生かされている私達の宿命と言っていいでしょう。