今年も一年ありがとう(2)

末代までの繁栄の為に

道歌集

掃除機を例にとって、感謝の気持ちをお供えし、供養する事の大切さをお話しましたが、これは何も掃除機に限ったことではなく、私達の人生すべてに当てはまります。
世の中を見れば、子々孫々が栄えている家もあれば、家系が絶えてしまった家もあります。
また、何代にも亘って繁栄している会社もあれば、老舗でありながら次第に衰退して消えて行った会社もあります。
何故このような違いが生まれるのでしょうか?
繁栄している家(A家)と、そうでない家(B家)は、どこが違うのでしょうか?
両家の違いは、例えば、御仏壇を見ればすぐに分ります。
繁栄しているA家の御仏壇は、いつもお掃除が行き届き、お花が枯れていたり、お供え物がなかったりする事もなく、お線香立ての灰にまで心配りがされています。
A家のお仏壇を拝んでいると、ご先祖様が喜んでおられるのがよく分かりますし、拝んでいても心が清められます。
一方、B家の御仏壇は、お掃除もされず、お花も枯れ、お供え物もなく、お線香立ての灰もカチカチで、立てる事さえ出来ません。
B家のお仏壇を拝んでいると、ご先祖様の悲しみがこちらにも伝わってきて悲しくなります。
もし皆さんが、どちらかの家に生まれ変わらなければならないとしたら、どちらの家に生まれ変わりたいでしょうか?
百人いれば百人とも、千人いれば千人とも、「A家に生まれ変わりたい」と答える筈です。
何故なら、ご先祖様へのご供養が行き届いているA家に生まれた方が幸せだからです。
『道歌集』に
 仏前に 供養忘れぬ家ならば
   いつも笑顔で 福ぞ集まる
と詠われているように、誰もが供養の行き届いたA家に生まれたいと思うのは、ただの偶然ではありません。
お仏壇が綺麗に掃除され、ご供養が行き届いているA家は、真理に適い、敬遠されているB家は、真理に逆らっているのです。
植物が、必ず太陽のある方向に延びていこうとするように、人間も真理に眼を向けなければ幸せに生きてゆく事は出来ません。
もし真理に逆らおうとすれば、植物は成長を止めなければなりませんし、人間も衰退の道を覚悟しなければなりません。
真理に適っているA家は、誰もが生まれ変わりたいと願いますから、A家の徳の器は益々大きくなって、子々孫々も繁栄していきます。
しかし、真理に逆らっているB家は、誰からも敬遠されますから、子々孫々がどんどん衰退し、やがて絶えてゆく事になるのです。

また帰ってきたいと思って頂けるか否か

東京ディズニーランド

企業についても同じ事が言えます。
前にお話したように、十年間、感謝の気持ちで使わせて頂き、最後を看取らせていただいた掃除機は、「またこのお寺へ帰ってきたい」という思いを抱いて旅立っていってくれたと、私は信じています。
もし私が、掃除機に感謝の供養もせず、そのまま捨てていれば、掃除機はきっと「また生まれ変わってきても、もう二度とこの家には帰って来たくない」と、愛想を尽かして旅立っていったに違いありません。
掃除機の一生は、死んで、それで終りではありません。
どんな姿になって帰って来るかは分りませんが、また別の姿に生まれ変わってこの世へ帰ってくる時、「また帰って来たい」と思ってもらえるか、それとも「もう二度と帰って来たくない」と思われるかです。
この違いは、会社の発展を考える上で、とても大きな意味を持っています。
何故なら、また帰ってきたいと思ってくれる人や物が、増えれば増えるほど、帰ってきたいと思われている会社の徳の器は、どんどん大きくなっていくからです。
その反対に、「もう二度とこんな会社には帰ってきたくない」「この会社の商品は二度と買わない」と思う人や物が増えていけばいくほど、その会社の徳の器はどんどん小さくなって衰退していきます。
赤字で青息吐息のテーマパークが多い中で、何故東京ディズニーランドだけが好調を維持しているのでしょうか?
それは、来園した人々がみな、「またディズニーランドへ遊びにきたい。帰ってきたい」という気持ちを抱いて帰っていかれるからです。
つまり、東京ディズニーランドは、他のテーマパークに比べて、リピーターの数が圧倒的に多いのです。
何故なら、東京ディズニーランドは、「また遊びに来たい」と思ってもらえるアトラクションを、次々と生み出しているからです。
東京ディズニーランドの主なターゲットは、家族連れや若者ですから、家族連れや若者に、「また遊びに来たい」と思ってもらえるような仕掛けを次々と作り、多くの家族連れや若者の心をとらえているのです。
東京ディズニーランドの強さの秘密はここにあると言っても過言ではないでしょう。

お子様ランチ

それだけではありません。東京ディズニーランドには、来園者(ゲスト)を真心で迎えたスタッフ(キャスト)の感動的な逸話が幾つも語り継がれています。
その幾つかをご紹介しますと、或る日、東京ディズニーランドに若い夫婦が訪れ、ディズニーランド内のレストランで「お子様ランチ」を注文しました。
当然の事ながら、メニューには、お子様ランチは9歳以下と書かれていたので、アルバイト(キャスト)の青年は、「失礼ですが、お子様ランチは誰がお召し上がりになるのですか?」と尋ねました。
すると、奥さんが、「死んだ子供のために注文したくて」と応え、お子様ランチを頼んだ理由を、キャストに話しました。

「私たち夫婦には子供がなかなか授かりませんでした。
求め続けて求め続けてやっと待望の娘が産まれましたが、身体が弱く一歳の誕生日を待たずに神様のもとに召されたのです。
私たち夫婦は、毎日泣いて過ごしました。
子供の一周忌に、いつかは子供を連れて来ようと話していたディズニーランドに来たのです。
そしたら、ゲートのところで渡されたマップに、ここにお子様ランチがあると書いてあったので思い出にと…」

そう言って夫婦は目を伏せました。
キャストのアルバイト青年は「そうですか。では、召し上がって下さい」と答えました。
そして、「ご家族の皆さま、どうぞこちらの方に」と四人席の家族テーブルに夫婦を移動させ、それから子供用の椅子を一つ用意しました。
そして、「子供さんは、こちらに」と、まるで亡くなった子供が生きているかのように小さな椅子に導いたのです。
しばらくして、運ばれてきたのは、三人分のお子様ランチでした。
キャストの青年は「ご家族でゆっくりお楽しみください」と挨拶して、その場を立ち去りました。
若い夫婦は失われた子供との日々を噛みしめながら、お子様ランチを食べました。
暫くして、この出来事に感動した若い夫婦から、次のような手紙が東京ディズニーランドに送られてきました。

「お子様ランチを食べながら涙が止まりませんでした。
まるで娘が生きているように家族の団欒を味わいました。
こんな娘との家族団欒を東京ディズニーランドでさせていただけるとは、夢にも思いませんでした。
これから、二人で涙を拭いて生きて行きます。
また、ニ周忌、三周忌に娘を連れてディズニーランドに必ず行きます。
そして、私たちは話し合いました。
今度はこの子の妹か弟かをつれてきっと遊びに行きます」

落としたサイン帳

インフォメーションセンターに、「サイン帳の落とし物はないですか?」と、一人のお父さんが元気なく入ってきました。
落としたサイン帳の中身を聴くと、息子さんがミッキーやミニーから貰ったサインがあと少しでサイン帳一杯になるところだったそうですが、残念ながらインフォメーションセンターには、サイン帳は届けられていませんでした。
キャストはサイン帳の特徴を詳しく聴いて、あちこちのキャストに連絡を取ってみましたが、見かけたキャストは誰一人としていませんでした。
「お客様、申し訳ございません。まだ見つからないようです。お客様はいつまで滞在されていますか?」と聞いたところ、2日後のお昼には帰らなければならないとのことでした。
「手分けして探しますので、2日後、お帰りになる前にもう一度インフォメーションセンターに立ち寄っていただけますか?」
そう笑顔で声をかけたものの、どうしても見つけ出すことができず、約束の2日後を迎えてしまいました。
「見つけることができませんでした。申し訳ございません。代わりにこちらのサイン帳をお持ちください」
それは、落としたサイン帳と全く同じサイン帳で、キャストが自分で買って、いろんな部署を回って、全てのキャラクターのサインを書いてもらったものでした。
お父さんがビックリして、喜ばれたのは言うまでもありませんが、後日、ディズニーランドに、一通の手紙が届きました。

先日は「サイン帳」の件、ありがとうございました。
実は連れていた息子は脳腫瘍で、「いつ死んでしまうか分からない」…そんな状態のときでした。
息子は物心ついたときから、テレビを見ては、
 「パパ、ディズニーランドに連れて行ってね」
 「ディズニーランドに行こうね」
と毎日のように言っていました。
 「もしかしたら、約束を果たせないかもしれない」
 「どうしても息子をディズニーランドに連れていってあげたい」
と思い、命があと数日で終わってしまうかもしれない時に、無理を承知で、息子をディズニーランドへ連れて行きました。
その息子が夢にまで見ていた大切な「サイン帳」を落としてしまったのです。
あのご用意いただいたサイン帳を息子に渡すと、
 「パパ、あったんだね!パパ、ありがとう!」
と言って大喜びしました。
そう言いながら息子は数日前に、息を引き取りました。
死ぬ直前まで息子はそのサイン帳を眺めては、
 「パパ、ディズニーランド楽しかったね!ありがとう!また行こうね」
と言いながら、サイン帳を胸に抱えたまま、永遠の眠りにつきました。
もし、あなたがあの時、あのサイン帳を用意してくださらなかったら、息子はこんなにも安らかな眠りにつけなかったと思います。
私は、息子は「ディズニーランドの星」になったと思っています。
あなたのおかげです。
本当にありがとうございました。

手紙を読んだキャストは、その場で泣き崩れたそうです。

真理に適う生きた供養の実践

ディズニーランドにまつわる感動秘話はまだまだ沢山ありますが、これが、東京ディズニーランドの来園者に対する真心の供養であり、「今日も一日ありがとう」の実践だと思います。
供養と言うと、亡くなった方の菩提を弔う事だと思われがちですが、死者を弔う事だけが供養ではありません。
生きている人に対して、如何に生きた供養が出来るか、また人だけでなく物に対しても如何に生きた供養が出来るか、その供養如何によって、家の繁栄も、会社の発展も約束されるのです。
一人でも多くのお客様に満足して頂き、リピートして頂けるかは、真理に適った生きた供養が出来るか否かにかかっていると言っても過言ではありません。
誰もが東京ディズニーランドに惹きつけられ、リピーターとなるのは、真理に適った供養の実践がなされているからです。

お寺へ嫁いできてから10年間、私達は、家族の一員となった掃除機に、感謝の心で接してきました。
そして、最後を看取らせて頂き、供養させて頂いたのですが、掃除機が、「またこのお寺へ帰ってきたい」という思いを抱いて旅立っていってくれたとすれば、この掃除機は、間違いなく、お寺にとってリピーターの一人、否、一台になってくれた筈です。
それはとりもなおさず、肉眼には見えないけれど、お寺の徳の器が少し大きくなった事を意味します。
東京ディズニーランドが好調なのは、リピーターが増えて、徳の器が大きくなっているからですが、さすがの東京ディズニーランドも、目を向けている相手は、親子連れや家族連れや若者にとどまっています。
もし、東京ディズニーランドが、人以外のすべての物にまで目を向けられるようになれば、世界最強のテーマパークになる事は間違いないでしょう。

帰ってきてくれて有難う

御法歌(みのりうた)『頼め彼岸へ法(のり)のふね』にある、
  朝日に感謝は するけれど
    沈む夕陽に 知らぬ顔
    今日も一日 ありがとう
の「朝日に感謝」とは、ただ東の空から昇ってきた朝日に感謝するという意味ではありません。
朝日は、昨日沈んだ夕陽が生まれ変った(リピートした)姿ですから、朝日を拝む時は、「今日もよろしくお願いします」ではなく、「帰ってきて下さって有難うございます。また今日もよろしくお願いします」でなければなりません。
そう言って、帰ってきて下さった(リピートして下さった)事への感謝の気持ちを込めて拝むのが、「朝日に感謝」なのです。
ただ朝日に「今日もよろしくお願いします」と言うだけなら、「朝日にお願いするけれど」でいい筈です。
菩薩様が詠われた「朝日に感謝」という言葉の中には、「生まれ変わって帰ってきて下さって(リピートして下さって)ありがとう」というお天道様への感謝の気持ちが込められているのです。
勿論、その感謝と喜びが、一度きりで終わってしまっては、せっかく再会出来た意味がありません。
そこで、その感謝と喜びがいつまでも続くよう、生まれ変わってもまた再会出来るよう、朝日を迎える時だけでなく、夕陽を見送る時も、「一日お世話になりました。有難うございました」といってただ感謝するのではなく、「また帰ってきて下さいね」と言って、再会(リピート)を約束してお見送りするのです。
そうして再会を約束してお見送りした夕陽だからこそ、朝日となって生まれ変わり、帰ってきて下さった時、「また会えましたね。帰ってきてくれてありがとう」と言って、「朝日に感謝」が出来るのです。
私が掃除機を拝み、供養させていただいたのは、ただ毎日一生懸命働いてくれたことへの感謝の気持ちを伝えたかったからだけではなく、同時に「また私の元へ帰ってきて下さい」という再会を願う気持ちを伝えたかったからでもあります。
ですから、その後で買わせて頂いた新しい掃除機は、お見送りした古い掃除機が生まれ変わって帰ってきてくれたのだと思い、使わせて頂いているのです。
再会を約束して見送らせて頂いたからこそ、新しく買った掃除機を見て、古い掃除機が帰ってきてくれたと思えるのです。
帰ってきてくれたという事は、私を信頼してくれたという事です。
私を信頼してくれていなければ、帰ってきてくれる筈がなく、リピートしてくれるか否かは、信頼を得られるか否かにかかっている事を、私達は肝に銘じておかねばなりません。

50年越しの恩返し

読売新聞の記事

平成22年(2010年)1月、日本航空が会社更生法の適用を申請して事実上倒産した事は、皆さんも記憶しておられるでしょうが、株式が上場廃止となった平成22年2月20日の『読売新聞』に、「日航へ50年越しの感謝」と題する次のような記事が掲載されました。

経営再建中の日本航空の株式はきょう20日付で上場廃止となる。その日航株を「半世紀前に日航社員から受けた親切が忘れられない」と無価値になると承知で購入した女性がいる。
「私にとって日航は幸せを運んでくれた乗り物。必ず再建してほしい」とエールを送る。
大阪府泉南市の造形作家松原タエ子さん(68)。
日航の会社更生法申請が秒読み段階となり、100%減資の可能性が強まった先月14日、あえて1万株を11万500円で購入した。
松原さんを駆り立てたのは、祖母の夢をかなえた2人旅の記憶だった。
松原さんは生まれてまもなく母方の祖父母の元に引き取られ、養女として育てられた。
祖父は中学時代に亡くなり、女手一つで育ててくれた祖母には格別の思いがある。
初めての孝行が50年前の東京旅行だった。
当時、祖母は80歳。「冥土のみやげに一度は飛行機に乗ってみたい」という祖母を連れ、大阪(伊丹)空港から羽田空港まで日航機に乗った。
ところが、羽田空港でアクシデントに見舞われる。足が不自由な祖母は飛行機のタラップを降りるのに時間がかかり、東京駅行きのバスに乗り遅れてしまったのだ。
当時は本数が少なく、次のバスまで数時間待たねばならない。
「孝行が台無しになってしまう」。
途方に暮れた時、日航社員が車いすを用意してくれた上、東京駅まで車で送ってくれた。
祖母はその2年後に亡くなったが、ことあるごとに「鶴のマークの会社の人が親切にしてくれはった」とうれしそうに話した。
昨年、経営悪化が報じられる中、「なんの足しにもならない」と分かっていながら株を購入したのは、あの時の感謝と応援の気持ちを伝えたかったからだ。
関西空港の日航カウンターには、祖母との思い出をつづった手紙も持参した。
先月末、松原さんの自宅を日航社員が訪れた。手には約400通ものカード。松原さんの手紙を読んだ社員からの返信だった。
「必ず再生したい」。カードを手に、「50年後も心に残る接客を心がけていきたい」と決意を語った地上スタッフの赤木芙美さん(25)に、松原さんは「必ず危機を乗り越え、魅力的な会社になって」と話しかけていた。

リピーターとなった理由

松原さんは、感謝と応援の気持ちを伝えたいと、敢えて無価値になる事を承知で日航株を購入されたのですが、松原さんの心を動かしたのは、半世紀前に日航社員から受けた真心の供養でした。
その日航社員は、松原さんと足の悪い祖母の事を案じ、車椅子を用意して東京駅まで送ってくれたのです。
日航社員から受けた真心の供養は、孝行が出来た松原さん(当時18歳)にとって、忘れようにも忘れられない鮮烈な記憶となって、魂の奥底に深く刻み込まれたに違いありません。
松原さんが敢えて無価値になると承知で日航株を購入されたのは、50年前に日航社員から受けた真心の供養を、50年経っても忘れていなかったからですが、「真心の供養とは如何なるものか」がここにハッキリ示されています。
いくら恩返しとは言え、もし松原さんの胸の内に、一瞬たりとも損得勘定が働けば、無価値になる株券を敢えて購入したりはしなかった筈です。
11万円余りのお金とはいえ、みすみす捨てる事になるからです。
しかし、松原さんは、それを承知で無価値になると分かっている日航株を購入されたのです。
何故か?
それは、そうする事が、50年前に日航社員から受けた真心の供養に対する、松原さんの真心の供養のお返しだったからです。
そこには、もはや損得勘定はなく、あるのは、ただ真心の供養に対する、真心の供養のお返しだけです。
松原さんが、損得勘定抜きで、日航への真心の供養を返されたのは、日航社員が50年前に、損得勘定抜きの真心の供養を、松原さん達に施したからです。
困っている人、苦しんでいる人を眼の前にして、「何とかしてあげたい」という心は、損得勘定からは生まれません。
そこにあるのは、ただ「その人の為に自分に出来る事をしてあげたい」という魂の奥底から湧き上る真心(菩提心)の声だけであり、その真心から生まれた相手への生きた供養だからこそ、供養を受けた人の魂の奥底に深く刻まれるのです。
損得勘定から出た行動は、50年も経たない内に忘れられてしまいますが、一旦刻まれた真心の供養は、何年経っても色あせる事はありません。
日航は、会社更生法の申請から僅か2年余りで、奇跡的な再生を果たしましたが、今後更なる発展が出来るか否かは、「もう一度この会社に帰ってきたい。この人達の下に帰ってきたい」と思ってくれる第二、第三の松原さんを増やせるか否かにかかっています。
そして、そう思ってもらえるリピーターを増やすには、一人一人の日航社員が、真心と感謝の心でお客様に接し、生きた供養をしていく以外に道はありません。
その真心と感謝の心さえ忘れなければ、50年経とうが、何年経とうが、必ずリピーターとなって帰ってきて下さる事を証明してくれたのが、無価値になる事を承知で日航株を購入された松原さんなのです。

今年も一年ありがとう(1)
今年も一年ありがとう(3)
今年も一年ありがとう(4)