蓮華の五徳(1)

一茎一花

蓮華の花は、仏様が台座にしておられるインド原産の花で、インドのヒンドゥ教の神様は、みな蓮華の台座に立った姿や、座った姿で描かれています。
仏様の台座は、昔から蓮華と決まっていますが、何故蓮華なのでしょうか?
蓮華には、昔から「蓮華の五徳」と言われる他の花にはない優れた特徴があり、その特徴が、仏様のみ心を象徴的に現している事から、蓮華が仏様の台座に使われているのです。

一つ目は、「一茎一花(いっけいいっか)」と言われる特徴で、蓮華の花は、一つの茎から一つの花しか咲きません。
一つの茎から一つの花しか咲かない事から、仏様の無欲の徳を現わしています。
四国霊場へ行きますと、衛門三郎という長者にまつわる逸話が伝えられています。
四国八十八カ所霊場の難所といわれる十二番札所焼山寺へ行く途中の山坂に、「杖杉庵」というお堂があり、ここで、衛門三郎という人が息絶えたと言われています。
昔、伊予の国(愛媛県)荏原(えばら)の荘に、衛門三郎という長者がいましたが、ある雪の降る夜、一人の乞食僧が一椀の食を乞うて、衛門三郎の屋敷の門に立ちました。
断っても断っても来るので、腹を立てた衛門三郎は、「乞食坊主に施すものはない」と言って、差し出す鉄鉢を奪い取って大地に叩きつけたところ、鉄鉢が八つに砕け散って、その翌日から衛門三郎の八人の子供が次々と死んでいったと言われています。
三郎は自己が犯した業報の恐ろしさを知り、「あの僧こそ、有名な空海上人さまであったのだ。一切を捨てて罪の懺悔をしたい」と、お大師さまの後を追うこと二十回、しかし、お大師さまに遇えなかったので、二十一回目に逆打ちを発心し、四国最大の難所といわれる焼山寺に行く途中の山坂で、老いと疲れと病に倒れ、息絶えようとする時、お大師さまが現れ、「難行苦行によって汝の罪業は消滅した、来世はきっと救うであろう。何か望みはないか」と尋ねられました。
三郎が、「わたくしは伊予の領主河野家の一族の者ですが、来世は河野家の一切の物を人のために施したい。どうか河野家の世継ぎとして生まれさせて下さい」と言うと、お大師さまは小石に「衛門三郎再来」と書かれ、その石を三郎の左手に握らされたところ、三郎は安心して往生したと言うことです。
後に伊予の領主河野息利の嫡子に息方という若君が生まれましたが、左手をかたく握って開かないので、安養寺というお寺で加持をして掌を開かせたところ、「衛門三郎再来」と書かれた小石を握っていたので、その石をお寺に納め、安養寺から石手寺と名を改めたのが、四国霊場五十一番札所となっている石手寺です。
衛門三郎がお大師様の後を追って二十一回廻らなければならなかったのは、自らが蒔いた強欲の種は自らの手で刈らなければならなかったからであり、罪の果たしを終えて衛門三郎は、今も杉杖庵に、四国遍路の元祖、守り仏として祀られ、道行くお遍路さんを見守っています。

中虚外直

二つ目は「中虚外直(ちゅうこげちょく)」です。
蓮華の茎は、茎の芯の中に、穴が一杯開いていて、中が幾つもの空洞になっています。
中が詰まっていれば、ポキッと折れますが、詰まっていないからこそ、しなやかで強いのです。
しかも、空洞だから、曲がってもすぐに元へ復元する力があり、外見は常に真っ直ぐである事から、み仏の柔軟な心の徳を現しています。
どんなに不都合な事があっても、どんなに辛く苦しい事があっても、心は変幻自在に動き、しかも、芯は絶対に変わりません。自分自身の根本を守りながら、臨機応変に姿を変えていくのです。

東京スカイツリー

この「中虚外直」をヒントにして建てられたのが、五重塔や三重塔です。
法隆寺の五重塔や、薬師寺の三重塔、東寺の五重塔は、昔から様々な地震や台風に見舞われてきましたが、倒れる事もなく、風雪に耐えて今もその優雅な姿を保っています。
阪神大震災の時に、兵庫県内に十五基の三重塔がありましたが、一基も倒れなかったのは、特筆すべき出来事で、あれだけの大きなビルディングや高速道路が次々と倒れたにも拘らず、五重塔や三重塔は一基も倒れなかったのです。
何故倒れなかったのでしょうか?
五重塔や三重塔の中心に心柱という柱が一本立っていますが、その柱は、どの棟木にも固定されておらず、宙ぶらりんの状態で付けられています。
中は吹き抜け構造になっていて、塔が左に揺れれば心柱が右に揺れ、右に揺れれば心柱が左に揺れて、揺れを上手く逃がす働きをしているのです。
この五重塔をヒントにして造られたのが、東京スカイツリーです。
東京スカイツリーも、五重塔のように、中心に一本の心柱があり、どこにも固定されずに、揺れを逃がすよう工夫されています。
左に揺れたら右、右に揺れたら左というように、心柱が反対方向に揺れて、常に塔全体を元へ戻す働きをしているのです。
どんな激しい揺れが来ても、塔の本体は決して倒れない構造になっているのです。
五重塔や東京スカイツリーは、この「中虚外直」の思想が、建物に生かされている好例と言っていいでしょうが、改めて日本の匠の技の凄さには、驚かざるを得ません。
法隆寺の解体修理や薬師寺の東塔の建立に携わった宮大工の西岡常一さんが、こんな事をおっしゃっておられます。
「古代の建築物を調べていくと、古代ほど優秀ですな。木の生命と自然の命とを考えてやってますな。飛鳥の宮大工は、自分たちの風土や木の質というものをよく知っていたし、考えていたんですな」
西岡棟梁は、毎朝写経をしてから職場に通われたそうですが、仏教精神を取り入れて、大地震に遭っても倒れない世界に誇るべき五重塔や三重塔を建てた先人の叡智には、日本人として誇らしく思います。
日本の匠の技が生まれた根底に、仏教思想がある事は言うまでもなく、昔の宮大工は、仏教の教えを学びながら、その叡智を建築に取り入れていったのです。

一花多果

御厨人洞(室戸岬)

三つ目は、「一花多果(いっけたか)」です。
これは、一つの花から沢山の果実を実らせるという意味で、み仏の悟りの無限性を現しています。
お釈迦様は、二十九歳で出家され、三十六歳の時に菩提樹の下で、東の空に輝く明けの明星(金星)をご覧になって悟りを開かれたと言われていますが、お釈迦様が明けの明星をご覧になって悟られたのは、言うまでもなく諸行無常の真理です。
この根本の真理から、八万四千の法門と言われる様々な教えが派生しましたが、お釈迦様のお悟りの境地を追体験する修行が、虚空蔵求聞持法と言う真言密教に伝わる秘法です。
虚空蔵求聞持法とは、東の空に明けの明星が見える場所を選び、一日一万遍、百日で百万遍、虚空蔵菩薩の御真言をひたすら唱え続ける修行で、修行を成就すると、お釈迦さまの八万四千の法門と言われる一切の経文を暗記する事が出来ると言われています。
お大師様は、その言葉を信じて虚空蔵求聞持法を修行され、霊験があったと、『三教指帰』という書物に書いておられますが、お大師様が修行された室戸岬の御厨人洞(みくろど)には、お大師様が詠まれた歌が伝えられています。
  法性の 室戸と言へど我が住めば
     有為の波風 寄せぬ日ぞ無し
「法性の室戸と言えど」とは、「み仏の中にある室戸岬であっても」という意味で、お大師様が住んでみれば、「有為(うい)の波風」、つまり、寄せては返す「無常の波風」が寄せて来ない日はなかったと、森羅万象すべてが私に「移り変わっていくんだよ」と言う無常の真理を説法してきたという事です。
「明けの明星が飛び込んできた」と書いておられますから、お大師様が、室戸岬で、お釈迦様が2500年前に到達された悟りの境地に到達されたことは間違いありません。
「お大師様はどこで悟りを開かれたかと言えば、室戸岬以外にはない。この歌がその証拠だ。悟りを開いていなければ、こんな歌は出てこない」
菩薩様は、常々そう仰っておられましたが、この歌の凄さがわかる菩薩様もまた、お釈迦様、お大師様と同じ境地に到達しておられた証と言っていいでしょう。

蓮華の五徳(2)