蓮華の五徳(2)

華果同時

四つ目は、「華果同時(けかどうじ)」の徳で、この特徴は蓮華にしかありません。
一般的に、草花は、花が咲いて、その花が雌しべと雄しべの交配によって実を結びますが、蓮華は、花と実が同時に付きます。
花が実になるのではなく、花と実が同時に付くのが、蓮華の特徴です。
花の中に、すでに実を宿していると言ってもいいでしょうが、これは何を教えているかと言いますと、涅槃経の中にある「一切衆生悉有仏性」、つまり、すべての衆生は仏になる種を宿している事を教えています。
誰もが仏になれるのは、仏性という仏の種を宿しているからであって、仏性がなければ、仏にはなれません。
ですから、仏に成ると言っても、仏でなかった者が仏に成るのではなく、本来仏であった者が本来の姿に帰るだけですから、誰でも仏に成れるのです。
仏に成るとは、今まで仏の種を頂いていながら、その事実を知らなかった者が、その事実に目覚めて、「私は仏だったのだ」という自己の真相に直面する事を意味します。

その道理を説いているのが、法華経の長者窮児(ちょうじゃぐうじ)の譬えです。
或る日、長者の家に一人の乞食が物乞いに来たので、召使いたちはみな、早く追い返さないと主人に怒られると思い、追い払おうとしているところへ、長者が通りかかり、その乞食が幼い頃に生き別れた自分の子供である事を一瞬にして見抜いてしまいます。
長者は、すぐにでも親子の名乗りをしたいのですが、息子の今の境遇が、本来の姿と余りにもかけ離れている為、「ここで親子の名乗りをしても、信じないだろう。それどころか、乞食に来た事を責められて痛い目に遭わされると勘違いをして逃げ出すに違いない」と考え、方便を使って、「もしお前が働く気があるなら、この家で働いてみないかね」と、誘い水を出す事にしたのです。
どこへ行っても雇ってもらえなかった乞食にとっては、願ってもない事で、早速その日から、長者の計らいで働く事になったのですが、元々長者の息子であった為、どんどん頭角を現し、やがて長者の片腕と言われるまでになっていきました。
そして、長者の家の生活にも慣れた頃合いを見て、長者の方から、親子の名乗りをしたところ、息子も、自分の本来の姿に目覚め、無事に長者の後を継ぐ事が出来たという話ですが、長者はみ仏を、乞食は私たち衆生を現わしています。
私たちも、「自分は罪深い凡夫だ」と思い込んでいる為、いきなり「お前は仏の子だ」と言われても信じられません。そこで、「牛に引かれて善光寺参り」の譬えではありませんが、先ず様々な方便を用いて、「あそこの仏様を信仰したら、こんなご利益がありますよ」「こちらの神様を信仰したら、こんなに善い事がありますよ」と、人間の欲を利用して、信仰の世界に導こうとしておられるのです。

泥中不染

五つ目が、「泥中不染(でいちゅうふぜん)」の徳です。
これも蓮華の大きな特徴の一つで、蓮華は、その根を、様々な汚物が流れ込む泥の中に張り、しかも、その泥に染まることなく美しい花を咲かせます。
何故汚れに染まらないのかと言えば、蓮華には、汚れをすべて養分にし、清め、ろ過する力があるからです。
蓮華がみ仏の台座に選ばれるのは、その為ですが、全てを浄化する力の源泉は何かと云えば、衆生の救いを願うみ仏の慈悲心(菩提心、真心)です。
自分にとって不都合な事があっても心が動じないのは、根底にすべての人々の救いを願う慈悲心(菩提心、真心)があるからです。
その根底にあるのは、「あなたの中には仏の種である仏性があり、あなたは仏になるお方です。いまは汚れていても、必ず清らかな仏の自分に目覚めるお方です」という衆生への慈悲心です。

常不軽菩薩の心

この「泥中不染」の徳を実践したのが、『法華経』に出てくる常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)というお方です。
このお方は、名前の通り、常に相手を軽んじない菩薩で、逢う人すべてに合掌し、常に礼拝し続けたのです。
「あなたが今どんな姿であっても、必ず将来仏になるお方です。だから、私はあなたの仏性を拝みます」と言って、どんな人に対しても合掌礼拝して歩かれたのですが、世の中には、拝まれて嬉しい人もいれば、馬鹿にされたと勘違いして腹を立てる人もいます。
腹を立てた人々は、この菩薩に、罵詈雑言を浴びせたり、中傷したり、石つぶてを投げて追い払おうとしましたが、それでも、この菩薩は、相手に手を合わせ、「あなたの仏性を拝みます」と言って拝み続け、「泥中不染」の徳を実践した功徳によって、常不軽菩薩という菩薩の位を成就したのです。

この五つの徳が仏の徳を象徴している事から、蓮華が仏様の台座に使われているのですが、五つの徳をすべて成就するのは容易ではないかも知れません。
しかし、たとえ一つであってもいいのです。一つの徳を成就すれば、自ずと他の四つの徳も付随してくるからです。
例えば、どんな不都合な事があっても在るがまま受け入れ、相手の救いを祈っていく「泥中不染」の徳を実践すれば、自ずと他の四つの徳も付随してきます。
大切な事は、実践する事であり、出来る事から一つ一つ実践していけば、やがて蓮華は大きく花開くのです。

蓮華の五徳(1)