大自然の生き方に学ぶ―「ポツンと一軒家」の人々

毎年春になると、桜の開花の時期をめぐって一喜一憂している人々を、よく見かけます。
大勢の人に花見を楽しんでもらおうと「桜祭り」を企画したり、花見客を当てにして商売をしている人々にとっては、開花の時期がいつになるかは切実な問題です。
しかし、大自然は、そんな人間の都合などには一切頓着していません。
暖かければ暖かいように、寒ければ寒いように、在るがままを生きている姿は、まさに変幻自在、融通無碍と云っていいでしょう。
わたしなどは、開花が早かろうが遅かろうが、それもまたその時々の御縁であり、一期一会の出逢いだから、その出逢いを楽しめばいいのではないかと思うのですが、やはり満開の桜を見たいと思うのが人情なのです。
しかし、人間に都合があるように、桜にも桜の都合がありますから、人間の都合通りには咲いてくれません。
勿論、桜は、人間を困らせたり、悲しませようとして早く咲いたり、遅く咲いたりしている訳ではなく、ただ大自然の営み(摂理)に従って、在るがまま咲いているに過ぎません。
桜も大自然の一部ですから、大自然の摂理に逆らって生きることは出来ないのです。
その点は人間も同じで、大自然の一員に過ぎない以上、大自然の摂理に従って生きる以外に道はありません。

戦後の焼け野原から立ち上がり、いまや世界第三位の経済大国と言われるまでになった日本ですが、そんな日本にも、大自然の摂理に従って、在るがまま心豊かに暮らしている人々がいます。
所ジョージさんと学習塾講師の林修さんがメインキャスターを勤める『ポツンと一軒家』というテレビ番組で紹介された人々ですが、ご覧になったお方もいると思います。
グーグルアースで、周りに集落のない山奥の一軒家を探して、そこに住む人たちの生活ぶりを取材したり、話を聞いたりする番組ですが、人里離れた山奥の一軒家ですから、家が建っている場所も、急斜面であったり、離れ小島であったり、獣道しかないような場所に家を建てて、お野菜や山菜や果物を作ったり、しいたけ栽培をしながら生計を立てているのです。
勿論、この人たちには、大自然をどうこうしようという気持ちは全くなく、大自然の摂理に逆らっていては生きていけませんから、大自然の摂理に従い、大自然と共に生きているのです。
都会で生活している人間から見ると、山奥の一軒家で暮らすのは、さぞ不便で大変だろうと想像しがちですが、先祖代々、その土地で大自然と共に暮らしてきた人たちにとっては、それが昔から営んできた当たり前の生活ですから、不自由とは感じていません。
「不自由じゃないですか」と聞かれても、みな「不自由じゃないです」と答えているのが、その証拠です。
都会で暮らしている老人の中には、介護施設に入ったり、病気ばかりして入退院を繰り返している人も大勢いますが、山奥の一軒家で暮らすお年寄りはみな、介護施設とは無縁と思えるほど元気な毎日を過ごしています。
百歳間近のお年寄りでさえ、元気に畑仕事をしたり、草引きをしたりしながら、毎日、精力的に体を動かし、懸命に働いているのです。
こんな人たちの姿を見ていると、人間にとって本当の幸せとは何かを、つくづく考えさせられてしまいます。