当たり前の日常と当たり前でない日常

令和元年(2019)12月、中国の湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルス感染症は、瞬く間に中国全土に広がり、中国から世界中へ広がってパンデミック(世界的大流行)状態に陥り、世界各国で大勢の感染者や死者が出る未曾有の惨事となりましたが、新型コロナウイルス感染症を前にして右往左往する人々の姿を見て思ったのは、阪神淡路大震災や東日本大震災の時も同じだったなァという事です。
この二つの大震災で、私たちは大きな犠牲を払いましたが、多くの事も学びました。
蛇口をひねれば、いつでも水が自由に使え、スイッチを入れれば、自動的にお米が炊き上がり、お風呂が沸き、エアコンが部屋を暖めてくれる快適な生活を、当たり前のように享受していたその日常生活が、大震災によって崩壊し、今まで当たり前だと思っていた事が、当たり前ではなかった事に気づかされました。
しかし、人間というのは悲しい生き物で、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という諺があるように、痛い目をした時は分かったと思っていても、再び快適な暮らしが戻ると、いつの間にか、痛い目をした時のことをすっかり忘れてしまうのです。
わたしたちが危惧しなければいけないのは、「今回の新型コロナウイルス感染症でも、再び同じことが繰り返されるのではないか」という事です。
わたしの拙い体験をお話すれば、かつては、毎年のようにインフルエンザに罹り、インフルエンザとは生涯付き合っていかなければいけない相手と諦めていましたが、或る年を境に、まったくインフルエンザに罹らなくなりました。
罹らなくなった年は予防接種を受けず、その後も、予防接種は一切受けなくなったにも拘らず、まったく罹らなくなったのです。
罹っていた時と何が変わったのかと言えば、手洗いとうがいを励行するようになった事です。
インフルエンザに罹っていた時は、予防接種をしたという安心感もあって、余り手洗いとうがいをしていませんでした。
手洗いとうがいの励行が、インフルエンザの予防に効果的であることは、前々から言われていましたが、その効果を軽く見ていたのです。
うがいと手洗いを励行するようになってから全く罹らなくなり、今ではインフルエンザの流行如何にかかわらず、毎食前に手洗いとうがいをするのが当たり前になっています。
勿論、インフルエンザの予防接種も受けていません。
毎年のように罹っていたインフルエンザと決別できたのは、わたしの意識が変わり、それが生活習慣をも変えたからです。
手洗いとうがいが当たり前でなかった生活が、当たり前の生活に変わったお陰で、インフルエンザという疫病神を封じ込める事に成功したのです。
今回の新型コロナウイルス感染症をきっかけとして、手洗いとうがいの励行が当たり前の日常になれば、今後いかなる感染症が出てこようとも恐れるに足りませんが、今まで何度も同じ失敗を繰り返してきただけに、再び「喉元過ぎれば熱さを忘れる」事にならないよう祈るばかりです。