感謝を忘れた便利で快適な生活

東日本大震災の時、読売新聞に、次のようなコラム記事が掲載されていました。

東日本巨大地震に沈む日本経済は復活できるのだろうか。原発事故は予断を許さず、計画停電などもあって、不安は募る。
首都圏の店ではミネラルウオーターや即席めんが消え、ガソリンスタンドに行列ができた。買い占めに走れば、被災地に必要な物資がいっそう届きにくくなってしまうことがわかっていても。
同時に、日本全体に自粛ムードが広がる。歓送迎会や旅行などは中止が相次ぎ、消費低迷が避けられそうにない。だれしも被災者の苦難を考えずにはいられないのだろう。
しかし、モノが売れなくなれば、それをつくる会社の経営は厳しくなり、雇用・所得環境の悪化につながる。
第一生命経済研究所の熊野英生氏は「過度な節約志向が広がると経済活動を下押しする。こういう時代だからこそ普段通りの消費活動をしていくことが大事」と強調する。
読売新聞社が避難所にいる被災者100人に聞いたところ48人が「町は復興できる」と答えた。被害はあまりにも甚大だが、希望は消えていない。
確かにエネルギー供給や食の安全など難題も多い。それでも、日本経済が停滞していては被災地の復興はさらに難しくなる。経済活動を正常化させていくためには、普通の暮らしを心がけることが必要になりそうだ。

過度な節約はかえって逆効果になるという内容のこのコラムを読み、「その通りだ」と、うなづかれた人も少なくないでしょう。
当時、関東や東北地方では、節電、節水、節約の呼びかけが行われ、山梨でも計画停電が実施され、不自由な生活が続きましたが、被災地の皆さんや、関係者の方々が置かれている状況を考えれば、節電、節水、節約に努めるのは当然で、当時は、それが国民の責務と言っても過言ではありませんでした。
しかし、コラムに書かれているように、誰もが過度の節約に走り、物を買わなくなれば、企業業績が悪化し、それだけ経済が冷え込み、被災地の復興もままならなくなる恐れがあります。
企業が儲からなくなれば、そこで働く人々の仕事がなくなり、更に物が売れなくなるという悪循環に陥ります。
こうした悪循環を断ち切るためにも、震災前の元の生活に戻ることが何より肝要である事は、誰の眼にも明らかでしたが、いま私たちが、新型コロナウイルスによって置かれている状況も、まさに大震災当時の状況と同じと言っていいでしょう。
違うのは、相手が大震災から新型コロナウイルスに変わっただけで、不自由な自粛生活を余儀なくされている点では何も変わりありません。
これを見れば、私たち人間が、過去から現在に至るまで、同じことを何度も繰り返してきている事がよく分かります。

今回の新型コロナウイルスによる感染予防の為に、止む無く出された自粛要請により、多くの方が自宅待機を余儀なくされ、人の流れが途絶えて、様々な業種で業績が悪化の一途を辿った事は周知の通りです。
観光地からは人の姿が消え、人通りのなくなった町を見ていると、まるでゴーストタウンのようでしたが、これは、一刻も早く新型コロナウイルスを封じ込めたいという政府や学識経験者の呼びかけに応えて、全国民が外出を自粛して感染予防に協力したからであって、早く元の暮らしを取り戻したいという国民の熱意の現われと言っていいでしょう。
しかし、外出の自粛と共に、私たちが考えなければいけないのは、「震災前の普通の生活」や「取り戻したい新型コロナ感染症前の元の暮らし」とはどのような生活を指すのかと言う事です。
思うに、取り戻したい元の生活とは、次々と作った物を、次々と買い、次々と消費して次々と使い捨てていく飽くなき浪費生活なのではないでしょうか。
確かに、大震災の被災者の方々の苦難を思えば、一日も早く震災前の平常な暮らしが出来るよう、優先的に取り組まなければいけない事は言うまでもありませんし、新型コロナウイルスの感染防止の為、全国民が出来るだけ外出を自粛するのは当然と言えましょう。
しかし、私たちが考えなければいけない事は、「このまま先般の大震災や新型コロナウイスルから何も学ぶことなく、次々と作った物を買い、次々と消費して次々と使い捨てていく元の暮らしに戻っていいのか」という事です。
何故かと云えば、某テレビ局で、ある被災地に水道が復旧した時の映像が映し出されたのを見て、何も学んでいないことを痛感させられたからです。
それまで被災者の方々が云っていた事は、「電気や水道がないと何も出来ません。電気や水道のある生活がこんなに有り難いとは思いませんでした」という言葉でした。
ところが、テレビに映し出されていた水道復旧時の映像を見ると、水道の蛇口を一杯に開けて、水をジャージャー出しっ放しにしながら、水を飲み、食器を洗っている光景でした。
「電気や水道のある生活がこんなに有り難いとは思いませんでした」と言っていた人々が、その有り難い筈の水を「復旧したのだから、使いたいだけ使えばいいのだ」と言わんばかりに、ジャージャー流しっ放しにしながら使っている光景を見た時、電気や水道がある普通の生活とは、「有り難い」のではなく、ただ「便利で快適なだけに過ぎないのだ」という事でした。
まさに「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の諺通りで、そのテレビ映像は、元の生活に戻れば、すぐに電気や水道が使える事への感謝の心を忘れてしまう私たちの日常生活を、ありのまま映し出していたのです。